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「文化評論」コミューン百年のエッセイ拝見しました   西山克太郎のはがき

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*1 パリ・コミューンと詩人たち──パリ・コミューン百周年に寄せて──(『文化評論』1971年4月号)
*2 Mur des Fédérés 連盟兵の壁
 
足首捻挫の

連盟兵の壁
ペール・ラシェーズ墓地 連盟兵の壁にて 



足首の捻挫はその後如何?うちの娘も一昨春黒姫でひどい捻挫で手術のやりなおしをして、新学期はビッコを引きながら久留米から十条まで通ったことでしたが。「文化評論」四月、コミュウン百年のエッセイ《*1》拝見しました。九日に一度よんで、今日も一度よまうとあちこち探しましたが、ちょっとみ当らない。こんな風にどこへ何をのけておいたが、とにかくこの頃はもの忘れがひどく、まったくひどい老化現象をおこしています。そして、とおいむかしのことばかりこびりついているのですから弱りものです。1930頃、私はあの《ミュウル・ド・フェデレ《*2》》のことを「反戦」か「戦旗」でみたのが、コミュウンというものをしった初めでした。やはり蜂起の月の記念であったと思います。40年もむかしのことです。「新信濃」という松本ででている地方雑誌に高橋さんが、めぐりあった人々というのの第一回目に永田広志のことをかいていますが、永田についても自然弁証法の加藤正とおなしく の時代に入っていることです。ジクザクなコオスを辿り乍ら、この の子化というものも本道へと進んできているということでせうか。こちらは、ゆふべも又少し雪でした。ウラル万歳の  に併行して、「星林」初期のものを抜き出しながら写しているが、いまの のせい……。気をつけて、次の仕事にとりくんで下さい。
ユウロープ昨夏のエリュアル特集に……という返事かきました、

大島博光様
三月十四日(1971年)  
      西山克太郎
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