スペイン戦争・「ゲルニカの勝利」
一九三六年はエリュアールの生涯において画期的な年となる。それは彼の詩と思想が新しい段階へとすすむ出発点とみることもできる。やがて始まる第二次世界大戦とレジスタンスのなかで、それは発展し開花することになる。シュールレアリスムの美学を捨てはしないが、彼の表現はわかりやすくなり、いっそう直接的になる。一方、外部世界は彼の詩にとってもいっそう重要なものとなる。
じじつ、世界の情勢、いろいろな事件は、エリュアールの敏感な意識にレアリスムの教訓を与えずにはいない。あらゆる方面から危険は迫っていた。世界は新しい破局のふちに立っていた。一九三三年一月、ヒットラーは多数派を獲得して権力をその手に握る。つねに政治的行動に参加してきたシュールレアリストたちは、新しい問題が起きるたびにその態度を表明した。一九三四年二月六日夜、ファシスト諸団体がパリで騒擾をひき起こすと、彼らはさっそく労働者との統一をすすめ、ファシズムへの闘争をよびかける。
こうして一九三六年は何よりもフランスの人民戦線が政権を手にした年である。それは圧制と暴力の狂信者たちにたいする、フランス人民の反撃であった。ヒットラーの暗雲が東の空にかかっていたにもかかわらず、人民戦線の統一のなかに早くも分裂のきざしが現われていたにもかかわらず、とつぜん大きな希望の息吹きがフランスの上をよぎる。エリュアールもそこに希望を託し、解放された世界を夢みたとしてもふしぎではない。
この年、一九三六年の一月から五月まで、エリュアールは、スペインを巡回する「ピカソ回顧展」とともにスペイン各地をまわり、講演を行う。このピカソ展は、一九三六年の選挙で勝利したスペインの新しい共和国政府が、偉大な自由の画家ピカソに敬意を表するために組織したものだった。
ここでエリュアールとピカソの友情について簡単にふれておこう。ピカソはシュールレアリスムの運動には始めから関心をよせてかかわりをもち、エリュアールとも接触するようになる。しかし初めの十年間、二人のあいだには親密な交友はなかった。やがて、エリュアールの芸術的直観とピカソにたいする共感を感じとったピカソは、彼を芸術上の協力者とみなすようになる。二人の友情の始まりを示すものは、「三六年一月八日夕」という日付をもつ、ピカソが鉛筆で描いたエリュアールの肖像画である。この日付はまた、エリュアールがピカソ巡回展の講演をひきうけて、スペインに出発した日でもあった。
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