アラゴン事件
一九三〇年代初頭のフランスは、それまでの相対的安定の時代から困難と不安の時代へと移る過渡期にあった。一九二九年秋、アメリカで始まった世界経済恐慌の波は、一九三一年にはフランスにもおしよせてきた。失業者は増大し、階級対立は尖鋭化する。イタリアではファシズムが人民に重くのしかかり、ドイツではナチスが台頭し、一九三三年一月にはヒットラーがファシスト独裁政権をうちたてる。日本の帝国主義が満州侵略を開始したのは一九三一年九月である。こういう情勢のなかで、フランスの思想界にひとつの大きな火の手があがった。一九三一年六月、ロマン・ローランが「過去への訣別」(「ウーロップ」誌)において態度表明を行い、あの抽象的ヒューマニズムおよび空虚な精神の自由への訣別を告げたのである。ロマン・ローランはその生涯をとおして、「紛争を越えて」人間の永遠の価値をまもろうとした。しかし、世界が分裂し、ファシズムがイタリアやドイツで台頭していた時、彼は二つの陣営にわかれた世界の現実を認めざるをえなかった。そこで彼は、未来をにない生をまもる人民の側に立ち、敢然として労働者階級の側に立つことを表明した。一九三一年二月、ローランはソヴェトの作家たちに宛てて書いている。
「わたしは、精神の自由と人類という二つの旗をあなた方に手渡す。自分の運命の主人となったあなた方、労働者の陣営に手渡す。喜ばれよ、二つの旗は、あなた方の側に立ってたたかうためにやってきた……シェークスピーアのすばらしい劇『アントニウスとクレオパトラ』をどうか思い出していただきたい……世界の運命を決め、オクタヴィアに帝国を引渡す大戦闘の始まる前夜、アントニウスの陣営のうえの夜空を、不思議な音楽がよぎり、フリュートを吹き歌声をあげる、目に見えない行列が通ってゆく……それはディオニソスの行列であり、アントニウスの神々が彼を放ったらかしてゆく。神々はこれから死にゆくものを見捨てる……むかしの世界の神々、自由《﹅﹅》、人類《﹅﹅》は、あなた方の敵の陣営を見捨てて、あなた方のところへやってくる。彼らを迎えられよ。そして彼らをあなた方に手渡す者の手を握られよ……」
これは一九三〇年代初頭のフランスの一側面である。さてシュールレアリストの詩人たちの方にもどろう。
一九三〇年九月、アラゴンとサドゥールはソヴェトへ出かけてゆく。ハリコフでひらかれる「第二回国際革命作家会議」に、シュールレアリスト・グループの代表として参加するためである。そのとき彼らはまだ超現実主義的共産党員《コミュニスト・シュールレアリスト》と呼ばれていた。まだ地に足のつかない共産党員として出かけて行った彼らは、しかし筋金入りの共産党員としてソヴェトから帰ってくることになる。
一九三〇年十一月にひらかれたハリコフ会議に出席したアラゴンとサドゥールは、シュールレアリスムの立場を擁護する任務を負わされていた。ところが二人は、「シュールレアリスム第二宣言」は弁証法的唯物論と矛盾すると言い、フロイト主義を「観念的イデオロギー」であると言って非難し、トロッキズムを「社会民主主義的で反革命的なイデオロギー」として批判した。つまり彼らはシュールレアリスムの立場を放棄して、コミュニストの立場に立ったのである。
そのうち、アラゴンがソヴェト滞在中に書いた詩「赤色戦線」が、国際革命作家同盟の機関誌「世界革命文学」に掲載され、ついで「ユマニテ」紙上に発表された。一九三二年一月フランス政府は、アラゴンが詩「赤色戦線」によって「無政府主義的宣伝ヲ目的トシ、軍隊ニ不服従ヲ煽動シ、不穏ナ行動ヲ挑発シタ」という理由で彼を告発する。こうしてここにいわゆる「アラゴン事件」が始まる。
(つづく)
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