*浅間とは浅間温泉の高橋玄一郎のこと。高橋は温泉宿を経営しながら共産党員村長もつとめた。「首都死守」は『蠟人形』1940年8月号に掲載。
西山はアラゴンの『ウラル万歳』の原書を博光から借りて筆記していたようだ。
寒もさがり、我がゆくみちは千曲川辺毎日樹氷です。《ウラル万歳》漸く30p筆写しました。あと70pばかり写しますので、( )日数おわかりと存じます。御必要の際はおしらせ下さい。春闘前に片付け度いと存じています。昨日浅間から蠟人形へのせた《首都死守》引用のA・ロバンの詩集2冊とりよせたが、ツンドクだといってきました。村内でさいきん地方選が始まったらしいようなたよりです
大島博光様
一月廿一日
西山
- 関連記事
-
-
《パリ燃ゆ》の再読を始めました 西山克太郎のはがき 2022/08/10
-
ディアンヌ・フランス(フランスの起床ラッパ)拝受 西山克太郎のはがき 2022/08/09
-
寒もさがり、我がゆくみちは千曲川辺──西山克太郎のはがき1971年1月 2022/06/24
-
冬将軍はゆふべも暴れて──西山克太郎のはがき1970年12月 2022/06/23
-
多摩川の鯉は如何?──西山克太郎の手紙1972年10月 2022/06/22
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5225-68e1ec4a
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック