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『エリュアール』 6.別れと出会いと(4)人民の子ニューシュ

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(新日本新書『エリュアール』)

マチルダ
マチルダ




 ニューシュがエリュアールの生活のなかへ入ってくる。エリュアールは落ちつきを見いだし、精神の平衡を見いだす。「愛を変えながら」詩人は人生にたいする態度をも変えてゆく。
 ガラはロシアのブルジョワジーの出で、前衛芸術に夢中な知識人で、野心家で、しかも現実的精神の持主だった。彼女はポールに絶えず不安を抱かせておくことで彼を支配していた。彼女はいわば捉えがたい誘惑者だった。
 反対にニューシュはエリュアールを静め、落ちつかせ、彼に確信をもたらし、信頼を与える。彼女は子供の頃を労働者の世界で過し、そこで大きくなり、その世界の不幸と悲惨をまのあたりに見てきた。彼女はしばしばザールの炭坑夫たちのことを話してきかせた。彼女はその生い立ちによって、その感性によって、まさに「人民の子」だった。彼女のなかには落ちついたレアリスムがあり、ひとを守る優しさがあった。傷つき絶望していたエリュアールにとって、彼女はまさに救いだった。彼女の素朴さ、影のない明るさのおかげで、詩人は自分の矛盾、混乱、苦悩を克服してゆく。エリュアールがニューシュによって鼓舞された愛は、ガラのそれとはちがっていた。レイモン・ジャンはそれを「全的な愛」と呼んでいる。それは、若い時代の二人だけの閉ざされた愛――エゴイストの愛とは遠くちがった、いわば開かれた愛である。のちにエリュアール自身が、「一人の地平から万人の地平へ」と言ったように、万人の地平へとひろがってゆく新しい愛である。このニューシュとの愛による経験の深まりは次第にエリュアールの政治的発展をうながす。詩集『直接の生』の最後の詩「詩による批評」は、その意味で象徴的な作品である。

そうだ おれは憎む ブルジョワの支配を
でかや坊主どもの支配を
だが おれと同じように
全力をあげて
この支配を憎まない人間を
おれはもっと憎む

この「詩による批判」をおれのほかの詩よりも愛さないような
自然よりも小さな人間の顔におれは唾を吐きかける

 この詩はブルトンの呪縛にもかかわらず、やはり状況の詩である。ここで彼ははっきりと階級的な立場で発言している。「戦艦ポチョムキン」にたいして情熱的な共感をしめしたエリュアールがここにふたたび姿をあらわしている。この階級闘争にたいする認識、詩による参加は、エリュアールの反抗の自然な発展過程であり、彼がその後に花ひらかせるにいたる思想の萌芽がここにある。この詩が書かれた一九三一年は、あの世界経済恐慌がフランスにも波及した年である。階級対立が尖鋭化していた。

(この項おわり)
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