そして『苦しみの首都』の最後は、たしかに愛の信条をうたった詩によってしめくくられている。
わたしは歌う きみを歌う大いなる悦びを
きみをもつ あるいはきみをもたない大いなる悦びを
きみを待つ無邪気さを きみを識《し》る純真さを
おお きみは妨げる 忘却を 希望を 無知を
きみは、不在を妨げ わたしをこの世に生む
わたしは歌うために歌い きみを愛する 愛が
わたしを創り 自らを解き放つ神秘を歌うために
(「つねにいてすべてなる女《ひと》」)
しかしこれも最後の呼びかけに過ぎなかった。もう遅すぎたのである。流れる歳月は愛の割れ目を大きくするばかりだった。
詩集『愛・詩』の冒頭に、彼は「この終りのない本をガラへ」とむなしく書きこんだ。この詩集のいくつかの詩にはまさに絶望のひびきがある。
ひとりの夜 わたしはきみを探して歩いてゆく
わたしに答えてくれる すべてのこだまのなかへ
だが だれもいない
口ごもる声もない
(『愛・詩』――「知ることを禁ず」)
生涯をとおして、「ひとが自由の奴隷となりうるように愛の奴隷」となろうと夢みるこの詩人は、すでにすべてが終ってしまった愛の廃墟についてなお歌うのだ。あとに残ったことは、この心のなかの決裂を事実のうちに確かめることだけである。
一九二九年の夏、エリュアールはスペインのカダケスに行って、前年パリで会った画家サルヴァドール・ダリと再会する。ガラをいっしょに連れてゆく。ダリはまだガラとは一度も会っていなかった。しかし、このスペインの若い画家とガラとの出会いは、エリュアール夫妻の訣別を決定づけるものとなった。
ガラについてのいろいろな粉飾や美化にもかかわらず、彼女はけっして伝説の女性ではなかった。むしろ彼女は抜け目のない打算家だったらしい。アンドレ・ティリオンは彼女をつぎのように描いている。
「……ガラは自分のほしいものを知っていた――それは心と官能の悦び、金銭と天才の伴侶である。……彼女は政治的議論や哲学的議論にはどんな関心もなかった。彼女は人間を現実世界におけるそのひとの能力によって判断し、無能な人間には目もくれなかった。彼女は、エリュアール、マックス・エルンスト、サルヴァドール・ダリといったさまざまな男たちの情熱をかきたて、彼らの創作力を高揚させた……」
ガラがダリと出会ったとき、彼女はうちこむものもなく、まったく手もちぶさたであった。ポールはまだ彼女にはご執心だったが、かなり遠のいていた。ガラはじっと運命を待っていた。そのときガラは三十五歳で、彼女をもっと豊かにしてくれる人をあまり長く待っているわけにはいかなかったのだ。
ダリは初めてガラを見たときから、このすばらしい女の魅惑にとりつかれた。しかし、数日間のエリュアール夫妻の滞在中、彼はガラにたいして情熱的な関心を抱くだけで満足する。
「散歩のさいちゅう、ほんの一瞬だが、彼女の手に触れると、わたしの全神経は激しくゆすぶられて、自分のまわりに緑の雨の降るのが聞こえた。まるで、ガラの手に触れるやいなや、敏感なわたしの欲望の木は早くも揺りうごかされたのだ……」
つづく)
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