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『エリュアール』 5.詩人の帰国──モロッコ戦争(2)

ここでは、「『エリュアール』 5.詩人の帰国──モロッコ戦争(2)」 に関する記事を紹介しています。


 
モロッコ戦争2


(新日本新書『エリュアール』)
 
コーネリア


 このことをブルトンは早くから見抜いていて、およそ三十年後、彼はつぎのように語る。「(シュールレアリスムの)共同行動へのエリュアールの参加は、一貫して変らないものだったにしても、恐らくためらいがつきまとっていたにちがいない。シュールレアリスムと言葉の伝統的な意味での詩とのあいだで、彼にとって目的と思われたのは多分その後者にちがいない。シュールレアリスムの見地からすれば、それは重大な邪説なのだ。エリュアールの意図が《シュールレアリスム宣言》の手前にとどまっていたことは、一九二六年に刊行された彼の詩集《ある人生の裏面あるいは人間のピラミッド》を自ら解説した《折り込み広告》がはっきりと示しているだろう。そこで彼は、夢・自動的テクストと詩とのあいだに明確な区別を設けようとしている。それは彼にとって後者に有利なように働く。《はっきりした意志の結果》としての詩にたいする偏愛をともなっての、このジャンルによる区別は、わたしには直ちに超逆コースに思われ、シュールレアリスムの精神とははっきり矛盾するように思われた」(対談)

 シュールレアリスム運動が華やかだった一九二五年から一九三〇年にいたる時代は、しばしば繁栄をたのしむ「よき時代」として描かれるが、それはただしくない。シュールレアリストたちも、矛盾のない、のんきな楽園に住んでいたわけではなく、アラゴンの語ったように、「呪詛と不気味な閃光にみちみちた世界」に生きていたのである。まさに危機と混乱の時代だった。フランは取引所で暴落した。長い冬のあいだ、失業者たちは無料食糧配給所のまえに長い行列をつくってならんだ。青シャツのファシストたちがうごめいていた。
 それまでシュールレアリストたちは、ダダと同じく、思考というコップのなかの嵐で満足し、ブルジョワ社会にたいする憎悪をただ烈しい言葉で投げつけるだけで、どのような政治活動にも参加しなかった。しかし彼らにも態度変更を迫る事態が発生した。一九二五年のモロッコ戦争がそれである。
 一九二五年、フランスの植民地だったモロッコにおいて、アブト・エル・クリムの指導する民族独立闘争がリフで攻勢に転じた。そこで一九二五年七月、フランスのブルジョワジーは十万の兵を投入して弾圧に乗りだし、ここにモロッコ戦争が始まった。
 このモロッコ戦争はフランスの労働者階級と知識人層に強烈な衝撃をあたえる。十月、九十万の労働者が、モロッコ戦争反対を叫んで、二十四時間のゼネ・ストを決行する。シュールレアリスト・グループも戦争反対を表明し、アンリ・バルビュスの指導する「クラルテ」誌の共産党員知識人たちと接触し、討議し、協力するようになる。アラゴンは書く。
(つづく)
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