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『エリュアール』 5.詩人の帰国──モロッコ戦争(1)

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モロッコ戦争1


(新日本新書『エリュアール』

アルテミス
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詩人の帰国――モロッコ戦争

 一九二四年十月、世界一周の旅からエリュアールが帰ってきたパリでは、シュールレアリスムの活動が沸き立っていた。
 アナトール・フランスが十月十三日トゥールで死んだ。フランスは一九二一年度のノーベル文学賞の受賞者で、世界的な名声につつまれたフランスの栄光であり、ブルジョワジーの誇りであり、シュールレアリストたちの憎悪するものの象徴であった。十月十八日、シュールレアリストたちは、『しかばね』と題するパンフレットを出して、アナトール・フランスに侮辱を浴びせる。それはまさに公然と屍に鞭うつものであった。ブルトンは「すべてをセーヌ河に投げこもう」と言い、アラゴンは「人間的汚点を消しさる消しゴムを」と叫ぶ。「そのやり口は、もはや出世主義者や無頼の徒のものではなく、ジャッカル(山犬)のたぐいのものだ」とジャーナリズムは論評する。
 しかし、エリュアールにはもはや憎悪はなかった。世界一周の旅から帰ったばかりの彼は、まだ顫えるその手に、ふたたび人間的な優しさをつかんでいた。彼はまた疲れはてていた。そして彼の反抗もまた弱まっていたのだ。この後、彼はシュールレアリスムからちょっと離れたところに身を置くようになる。
 エリュアールもまた『しかばね』のなかに書くことになるが、それはこのパンフレットをつらぬく抑制のない激しさとは矛盾しているように見える。
 「わたしがもはや眼に涙をうかべることなしには考えることのできないもの――《人生》は、きょうもまたつまらぬ日常茶飯事のなかに現われ、それにたいしていまでは優しさだけが支えになる。懐疑主義、イロニー、臆病さ、フランス的精神とされる(アナトール・)フランスとは何ものであろう? 忘却の大いなる息吹きが、それらすべてからわたしを遠くへ連れてゆく。恐らく《人生》を汚し傷つけるものを何ひとつわたしは読まなかったし、見なかったであろう?」
 一九二四年の秋、シュールレアリスムの最初の論稿となるアラゴンの『夢の波』が公表され、十一月にはブルトンの『シュールレアリスム宣言』が刊行されて、シュールレアリスムの「性格、体系、方法などが次第に鮮明になってゆく。十二月にはその機関誌「シュールレアリスム革命」第一号が刊行される。
 世界一周の旅から帰ってきたエリュアールは自然にシュールレアリスムの運動に参加する。けれども、彼の個人的な関心、彼の詩的資質などによって、彼は厳密にはシュールレアリスムの人間とはならずに、目だたないところにいたようである。シュールレアリスムの歴史を見るとき、結局エリュアールのとった控え目な役割に、ひとは驚かされるであろう。
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