そうして彼は党への信頼をつぎのように歌うのです。
ほろびゆく階級が 人民にしかける戦争で
党は 未来をはっきり見とおす参謀本部だ
党はまた うねのなかに種子をまくと同時に
生まれでてくるものの戦略家だ
挨拶をおくる 闘争の炎から生まれた
火の子よ
党よ 平和への愛を羅針盤として進む舟乗りよ
敵にうち勝つ思想をくみたてる 組み立工よ
おお われらを春へとみちびく船長よ
党よ わが新しい家庭よ あなたに挨拶をおくる
党よ これからはわが父 あなたに挨拶をおくる
そうして メーデーの朝のように 光うつくしい
あなたの家に わたしははいる
このようなアラゴンの党と党員への信頼は、小説やエッセイのなかにも一貫して見られるものです。
♣愛の詩人
さて、アラゴンが偉大な愛の詩人だったことを忘れることはできません。彼はエルザと会ってから、「エルザの詩人」といわれるほど彼女を歌いつづけるのです。
わたしはほんとに きみの唇から生まれた
わたしの人生は きみから始まるのだ
彼はくりかえし愛について語っています。「この人生から、わたしはただひとつのことを学んだ。愛するということを学んだのだ。そしてわたしが諸君に望むのは、愛することを学ぶということ、そのことにほかならない」──愛することを学ぶとは、他者を知り、他者をとおして現実世界を知ることであり、万人のための幸福をねがうことであり、自由と平和と未来のためにたたかうことを学ぶことなのです。アラゴンは「ひと組の恋人たち」夫婦《カップル》という理念について、あるインタビューでこう語っています。
「わたしは共産主義をつぎのようなものとして想い描いています。つまり、よく結びつき、おたがいに忠実で、愛しあう、幸福で自由な男女のひと組《カップル》が社会の基本的な細胞となるような社会として、想い描いているのです。」
このような夫婦の理念は、男と女の全的融合をねがう、二人だけの愛を絶対化するものではなく、またそれだけを目的とするものではないのです。その場合には、愛は、孤独者を他者へ結びつける通路であることをやめてしまうからです。アラゴンはこの新しい愛の本質をこう歌っています。
人間だけが 夢をもつものなのだから
自分の抱いた夢が ほかの人たちの手で
自分のうたった歌が ほかの人たちの唇で
自分の歩いた道が ほかの人たちの道で
自分の愛さえが ほかの人たちの腕で成就され
自分の蒔いた種子を ほかのひとたちが刈りとるために ひとは死をも辞さない
人間だけが 明日の日のために生きる
(『エルザの狂人』)
ここでは、愛と革命的実践とはひとつのものとして美しく歌われているのです。
(つづく)
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