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座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか(5)リティン氏の残したもの〈下)

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下


リティン監督

(『チリ人民連帯ニュース』第32号 1988年3月20日)



 司会 リティン監督の映画の配給元として、上映運動にかかわっておられる大映の田村さん、いかがですか。
 田村 その前にリティン監督の人柄についていわせて下さい。食事しながら話し合ったことがあるのですが、潜入して映画をとるなどということをやってのける人だから、楽天的な人だろうと思っていたのですが、「映画づくりには大へんこだわる人だと思いました。かれと話しながら、ふと後藤監督のことを思い出しました。後藤監督は、商業ベースの枠内で仕事をしている日本の映画人のなかでは、異色の人でして、たとえば「またぎ」という映画を作ったとき、熊を赤ん坊から育ててみたり、またぎ犬を十匹も飼ったり、とことん執念を傾けて撮っています。リティン監督にも同様なところがあるように思いました。
 上映運動は、九州三県、北陸二県をのぞいて全国的に拡がっています。東京では封切り以来数カ所で上映され、すでに一万五千人が見ています。東京以外では約一〇〇カ所、一カ所平均五○○人として五万人、合計全国で六万五千人がすでに見ていることになります。若い人たちが、『潜入記』を読んでいて、口コミで拡がるという、この種の記録映画としては異例の拡がり方です。成功しているのは、実行委員会をつくり、たとえば埼玉の場合のように試写会と学習会を重ねるということで上映にとりくんだところです。マスコミが乗っているから券だけ売っていれば、という姿勢のところは失敗しています。
 これまでの、配給組織を中心に教師や母親が集って進めてきた親子映画運動とは異って、今回の上映運動は、若い人たち、一般の人たちにも入りこんでいってます。映画センターもなく運動の蓄積の弱いところで成功し、この機会に組織を確立しようという動きも出ています。
 司会 では、この辺で間島さん、まとめをお願いします。
 間島 リティン氏招請運動は、幅広いよびかけ人で歓迎実行委員会をつくって進めたこと、岩波新書の『潜入記』の普及と結びつけることができたこと、さらに映画づくりを歓迎行事に間に合せたことなど、成功の要因はいろいろ考えられますが、何よりもリティンの人間としての深さと広い教養が、かれの映画の力とあいまって、多くの人たちに民主主義の課題とチリ人民連帯とをアピールしたことにありました。
 リティン監督は高橋さんに、人前で話すのは苦手だといったそうですが、夫人は「かれがうまく話すので私自身感心しています」といっていました。ぼくもかれは話がうまいと思いました。それは、かれの人間と教養の豊かさを示しています。われわれも運動の担い手の一人一人が豊かな人間に成長していけるようにしていきたいものだと思いました。
 リティン監督の残したものについて、話し足りなかったこともありましょう。これからも発見していくこともありましょう。それらをふくめて、チリ連の運動をこえて大きな影響と課題を残したことを申し上げて、まとめとします、
(完)
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