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座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか(4)リティン氏の残したもの〈上)

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上


リティン監督

(『チリ人民連帯ニュース』第32号 1988年3月20日)



リティン氏の残したもの

 司会 すでに皆さんが話されたなかに、リティン監督が残したものについて、それぞれ触れられていますが、これから話題の中心をそちらに移して下さい。夫妻が帰ったあと、山田洋次氏との対談が岩波ブックレットとして刊行され、山田和夫氏との対談が、『文化評論』12月号に載りました。とくに映画「戒厳令下チリ潜入記」の上映は全国的に大きな影響を与えていると思います。まず映画の影響から。
 加藤 この映画はチリの人たちの闘う姿を撮っているだけでなく、民主主義をめざす一五〇年のチリの歴史と、その成果としてアジュンデ政権が生まれ、軍事クーデターによって倒されてもチリの民主主義の歴史はアジェンデの記憶とともに抹殺できないことを、高い芸術性をもって描き出していて、感動せずにはいられません。この映画が全国的に上映されて与えている影響は大きいものがあると思います。知り合いの若い人たちですが、集会でリティン監督の話を聞き、映画を見て感動し、翌日から上映運動にとびこんでいっています。松野さんの友人の若い人たちはどうですか。
 松野 講演は、受付などで忙しくて聞いていませんが、録音で聞いてみると、リティンはいつも若者を視野に入れて話しています。沢山の若者が来てくれたことに必ずふれています。それはかれが未来のことを考えて行動しているからだと思います。
 かれは日本へ着くなり日本のことを学ぼうとしていました。チリ連のこと、政党や労働組合のこと、さらにヒロシマ・ナガサキについての日本人の思いについて質問し、タバコの箱に書きとめていました。そして講演では、被爆体験をした日本人民との連帯をいつもよびかけていました。
 また「九月十一日の悲しみを忘れない。しかし九月四日の喜びは忘れてはならない」と述べていましたが、この「九月四日の喜び」の再現のために、ぼくたち若者にチリ人民との連帯を訴えていったのです。
 安藤 リティン氏の残したものは映画運動については大きいものがあります。私は映画衰退の流れのなかを十数年間映画運動をやってきました。そして一九八〇年に原水爆記録映画一〇フィート運動に参加し、一昨年には「沖縄戦未来の証言」という映画の一〇フィート運動にとりくみ、それぞれ成功させるなかで、日本の民主主義を考えるマスコミの人たちと交流し、「朝日」の藪下さんとも知りあい、お力をかりてきました。「記録映画を見て現代を語る会」はそのなかでつくられました。「語る会」がリティン氏歓迎実行委員会に加わりましたのも、こうした運動と共鳴しあうものがあると感じたからです。
 リティン監督とその映画は私たちの期待を越えるものがありました。だからこそ監督が去ったあと上映運動が草の根的にひろがり、全国的にチリ人民連帯の心と、民主主義を守り育てる志とを掘りおこしていっているのだと思います。
 間島 ぼくは演劇の方でリテイン監督をよんで、演出をして貰ったらどうかと思いますね。かれは奈良の飛火野で「芝能」を見て、能については本で読み、ビデオでは見たが、実際に鑑賞するのは初めてだといってブレヒトが能の影響をうけたわけが分った。そして将来アジェンデ、ネルーダ、あるいはピノチェトをシテにして演劇をやってみたいといっていました。「一九七三年チリ」をした青年劇場に勧めてみたいですね。民主的な能の人たちにも協力して貰えるのではないですか。
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