招請運動のとりくみ
司会 リティン氏招請運動は、三月末の常任委員会の方針に基づき、四月から三度チリ連構成八団体の会議を開いて具体化を図り、六月下旬に歓迎実行委員会が発足しました。しかし段取りはチリ連の常任委員と事務局、それに実行委員会に加わった若干の活動家によって進めるほかなく、間島さんを先頭に大奮闘して準備を仕上げることができました。この間のとりくみについて、それぞれの立場からお話し下さい。
加藤 『潜入記』の読者からリティン監督の撮った映画を見たいという電話が私の勤め先にかかってきました。たまたま、ライブチッヒ映画祭に行かれた相川監督が、この映画の四時間ものを見てこられたことを聞き、二月八日の語る会で話していただいたところ、この映画を輸入しよう、いっしょに監督もよんだら、という話になりました。そして坂巻さん(『潜入記』編集者)からビデオが岩波にあることを聞き、そのころ私はリティン氏招請のことを知って飲迎実行委員会に入っていましたので、間島さん、高橋さんと岩波ホールで見せて貰いました。しかしこの段階では映画を入手し上映するという方針は固まりませんでした。
司会 チリ連のとりくみについて、間島さんから。
間島 私は幅広い歓迎実行委員会でなければと考えました。というのは、三月下旬の「朝日」の夕刊に山田洋次氏が、二月中旬のモスクワ「人類の生存と核のない世界のためのフォーラム」に栗原小巻さんと参加し、リティン監督と会ったことを書き、並んだ写真も載っていましたのを見て、山田・栗原両氏をふくむ各界の代表的な方々によびかけ人になっていただくのがよいと思ったのです。こうして両氏のほか、岡部廣治(津田塾大教授)・川喜多かしこ(川喜多記念映画文化財団理事長)・後藤政子(中南米研究家)・小林久(作家)・浜田滋郎(音楽評論家)・安江良介(『世界』編集長)、およびチリ連代表委員の大島博光(詩人)・岡倉古志郎(国際政治学者)・立木洋(参議院議員)・仁科哲(弁護士)の合計十二名によびかけ人になっていただいて、歓迎実行委員会を発足させたのです。
このためマスコミも各社が積極的にとりあげてくれました。とくに「朝日」では、編集委員の藪下彰治朗氏が日本の民主主義の危機的情況と結びつけてチリ問題を捉えておられ、特派記者としてチリで取材して来られた伊藤千尋氏とともに、歓迎行事にも参加し、報道と特集でクローズアッブしてくれました。NHKには松野君と出かけ、外信部の方と会って、ブラジル以外の中南米への放映を条件に企画にのせて貰いました。
高橋 はじめ八団体が中心になって運動を進めようとしたのですが、うまくいきませんでした。むしろ八団体に頼り切れずに、チリ連常任委員のほか、それまでお互い知らなかった人たちが、それぞれ自分の問題として、一つの目的のために、試行錯誤しながら活動したからこそ成功したともいえますね。
松野 高橋先生のいわれたような活動は、リティン監督来日の直前のことです。その前に諸団体を回ってリーフレットを配り実行委員会への参加をよびかけたのですが、十分な手ごたえはありませんでした。映画上映をなんとかやりたいと話し合っているなかで、いろいろな人が集り、急に盛り上ったのです。
加藤 安藤さんが映画の輸入されていることを聞いてきてから動き出したのですね。転売されるのを追ってやっと所在をつきとめたが貸して貰えない。松野さんがあきらめないで、交渉を重ねているうち、シナリオ翻訳者に会うことができ、高橋さんの協力を条件にフィルムを借りる話を詰めていたところ、大映が映画を買ったことから急転して、実行委員会による日本語版づくりがはじまったのです。
司会 それ以前にもラッキーなことにめぐまれて招請自体がスムーズに進められたのでは。
間島 常任委員の谷口(圭一)さんの息子さんがマドリッドにいてツーリストの仕事をしていますので、かれを通じてリティン氏と交渉できたのは好都合でした。また都職労の氏家夫妻がスペインに行くというので、リティン氏に会っていただいたことも大きな力になりました。
リティン側の事情も幸いしました。かれに聞いたことですが、チリに潜入して映画を撮ったのは下火になっているチリ人民連帯運動の活性化にねらいがあったということで、私たちの招請に応じたのも同じ目的だったのです。
司会 映画が大映にのったことが招請運動を盛り上げる転機になったようですが、田村さん、その間の大映側のとりくみをお話し下さい。
田村 私は大映の配給責任者で労組委員長もしていますので、年に二本は闘う映画を上映するよう心掛けてきました。一昨年の越年闘争の総括会議のとき『潜入記』が話題となり、あの映画を買ったらどうかという話になりました。そこで二月から三月にかけて開かれるアメリカンフィルムマーケットで買ってくるよう頼んでいたのですが、すでに日本に売れているということでした。やがて身近かなケーブルボーグ社に入ったので、譲渡交渉を重ねたのですが、話が進まずにいたところ、上映先がまとまらないというので大映にもって来たのです。
- 関連記事
-
-
座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか(4)リティン氏の残したもの〈上) 2022/06/04
-
座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか(3)リティン監督歓迎の二週間 2022/06/03
-
座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか(2)招請運動のとりくみ 2022/06/02
-
座談会 ミゲル・リティン監督は何を残したか (『チリ人民連帯ニュース』第32号) 2022/06/01
-
暴行、拷問ででっちあげ 非難たかまる軍事裁判 (『チリ人民連帯ニュース』1974年5月) 2022/04/28
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/5202-36b6b3cf
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック