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愛の詩人・アラゴン(下)エルザとの出会い──世界の共産党員物語 アラゴン

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下


2
エルザ・トリオレ(1932年)


(『月間学習』1987年7月)





♣エルザとの出会い

 共産党に入るということは、アラゴンにとって自分自身との長いたたかいにふみこむことであり、苦悩にみちた自己変革の道を歩きはじめることでした。
 入党してからも、アラゴンは思想の面でも私生活の面でもいろんな矛盾に苦しみ、混乱と動揺がつづきます。恋愛問題もからんで、一九二七年には旅行先のベネチアで服毒自殺をしようとします。幸いに早く見つかったので一命をとりとめたのです。
 アラゴンが新しい人間に変わるためには、ひとりの女性との出会いが──愛が必要でした。一九二八年十一月の、モンパルナスのカフェ・クーポールにおけるエルザ・トリオレとの出会いがそれでした。ゴーリキーの弟子といってもいいような、ロシア・レアリスムを身につけていたエルザとの生活のなかで、アラゴンは新しい生き方を身につけてゆきます。

きみにめぐり会った あの日から
わたしの真の生活が 始まるのだ
きみは その腕でふさいでくれた
わたしの狂気のつっ走る 泥道を
わたしはほんとに きみの唇から生れた
わたしの人生は きみから始まるのだ
(『未完の物語』) 

 一九三〇年、アラゴンはエルザといっしょにソビエトを訪問します。新しい人間たちによる社会主義建設、とりわけドニエプル大水力発電所の工事現場をまのあたりに見て、彼は衝撃的な感動にうたれ、決定的な影響をうけます。それまでのアナーキーな態度にたいして、いまや集団的なモラルがとって代わり、それは彼の精神のなかに根をおろしてゆきます。この集団的モラル──共産党員のモラルがアラゴンを変えてゆくのです。このモラルは、たんなる志向や観念のなかにあるのではなく、まさに実践のなかにあるもので、それはまた政治的なモラルなのです。アラゴンは人生の意義を探しもとめて、ついにその意義を探しあてたのです。彼の生活も、党の活動家として変わってゆくことになります。
 一九三一年ころ、アラゴンは時の共産党書記長モーリス・トレーズと初めて会います。それまで彼は『反宗教闘争』紙の編集にあたっていました。トレーズはあまり重要でないこの仕事をやめて、党活動にもっと直接参加するようにすすめたのです。アラゴンは積極的な活動家となり、工場の門で演説をしたり、ストライキ中の労働者を応援したりします。
 こういう実践活動をとおして彼は現実世界を理解するようになるのです。それはその後アラゴンが書くことになる作品にとって必要な、決定的な体験でもあったのです。彼が新しい人間に変わるのに、共産党の指導と援助が重要な役割を演じたことは、つぎの詩句からも読みとることができます。

「党は人民をみちびく」というように 党とは大文字で書かれる言葉だ わたしがそれを口にするやいなや 皆既日食となり ほかの太陽はみな わたしには無縁となるのだ」
(『眼と記憶」)

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