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多頭内閣への支払請求書  西山克太郎

ここでは、「多頭内閣への支払請求書  西山克太郎」 に関する記事を紹介しています。

 
多頭内閣への支払請求書


(『角笛』22号 1962年4月)
 
噴水



多頭内閣への支払請求書
                                 西山克太郎

その朝、政策転換斗争のために九州から上京してきた炭労のキャップ・ラムプ行進のつかれた足どりのあとから「エコノミック・ノオト」紙の一ページがまいあがった。
──一九五九年にアメリカの巨大会社三〇社の税引後利潤総額は、四〇〇〇萬ドルをこえたが、そのうち二三%は対外投資から、二〇%は軍需注文からの収益であった。

この記事をひろいあげてさらによみすすもうとすると度のつよい近視眼鏡の中心から、ジェームス・アレンの文章が機銃弾のように飛びだしてきた。
──冷戦による完全雇用は死の保証である。平和経済における完全雇用のための斗争は、斗争ではあるが、生のための、国民の厚生のための、民主々義と文化の復活のための、進歩への道を開くための斗争である。 (「軍縮とアメリカ経済」)

とまどって、眼鏡のくもりをぬぐうと、それはレーニンのこもりうたにかわっていた。
──自由競争は資本主義と商品生産一般との基本的特質であり、独占は、自由競争の直接的な対立物である。ところがこの自由競争は大規模生産をつくりだし、小規模生産を軀逐し、さらに、大規模生産を最大規模の生産によっておきかえ、生産と資本との集積を、その中中から独占体─すなわちカルテル・シンジケェト・トラスト、および、これらのものと融合して何十億の金を自由にしている十ばかりの銀行の資本─がすでに発生し、また現に発生しつつあるというほどにまでみちびき、こうして、いまやわれわれの目のまえで、みずから独占に転化しはじめたのである。しかもこれと同時に、独占は自由競争のうちから発生しながらも、自由競争を排除せず、自由競争のうえに、これとならんで存在し、このことによって、いくたの、とくにするどくて激しい矛盾、あつれき、紛争をうみだす。独占は、資本主義からより高度の制度への過渡である。
(「資本主義の最高の段階としての帝国主義」)

私はそのことばとことばの間をぬって感想を書き入れていった。
(それは温室で育った植物のように忽ちに成熟していってしまうが、また枯れるのも速い。
季節風の日本の牧歌的な経済の成長→過熱→衰退。
中小企業の経営者は方丈記を経営組織論のかわりに愛読し、貿易自由化の黒い花びらが景気とおなじように散っていくのを待とうとしている。
中世のはかなさを近代の中に見ようとするそのはかなさ。)
(『角笛』22号 1962年4月)
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