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共産主義にむかうアラゴンの道(下)──世界の共産党員物語

ここでは、「共産主義にむかうアラゴンの道(下)──世界の共産党員物語」 に関する記事を紹介しています。


ツエトキン


(『月間学習』1987年6月)

アラゴン
ルイ・アラゴン 1922年




●ツェトキンとの出会い

 ここにはシュールレアリスムの本質が詩のことばをとおしてみごとに語られているのです。
 しかし外部ではフランス人民の歴史が大きく動いていました。一九二〇年十二月、ツールでひらかれたフランス社会党の大会で、コミンテルンを支持する多数派はフランス共産党を創立するにいたります。この大会に、官憲の目をくぐって出席したドイツ共産党のクララ・ツェトキンが、レーニンのメッセージをつたえ、戦争反対の熱烈な演説をしたのです。
 それをきいて感動したアラゴンは、翌年一月、さっそくブルトンといっしょに、ブルターニュ街にあった共産党支部の事務所を訪れて、入党の意思表明をおこなうのですが、応対した人物のにえきらない日和見主義のために、アラゴンたちは失望して帰ってしまうのです。
 クララ・ツェトキンの出現は、アラゴンには大きな感動を与え、彼は小説『バーゼルの鐘』のなかでツェトキンに一章をささげ、また詩にも書いています。しかし、一九二〇年には、このような意思表明を行ったにもかかわらず、アラゴンはまだはっきりした意識をもっていたわけではないのです。一九一七年のロシアの大十月革命、一九一九年のヨーロッパにおける革命運動の高揚、一九二〇年のフランスにおけるストライキの頻《ひん》発(一八〇〇件)──これらの事件とその意義についても、アラゴンはまだ気がつかないでいたのです。それからおよそ十年後の一九三五年に、彼はそのころの自分の思想・精神の状況をつぎのように描いています。
「……ダダからシュールレアリスムへと、われわれがもがいていたイデオロギーと矛盾の霧のなかで、わたしが意識をもつようになるには数年が必要だった、……長いこと、この反抗はわたしにとってはアナーキーのかたちをとっていた。そして長いこと、かつてのダダイストのわたしはただ身振りや言葉に拍手するばかりで、どこに真の同盟者がいるのか、どこに手を結ぶべき人びとがいるのか、知らずにいた……」
(『社会主義レアリスムのために』)
(注1)モーリス・バレス――(一八六ニー一九二三)ロマンティクな躍動と伝統的な態度とを結びつけようとした作家。のちにナショナリスムに移る。
(注2)スタンダール――(一七八三ー一八四二)有名な小説『赤と黒』の作者。この小説の主人公のジュリアン・ソレルは、階級的意識をもって描かれた先駆的な人物とされる。
(注3)アンドレ・ブルトン――(一八九六ー一九六六)詩人で、アラゴンらとともにシュールレアリスムを創始する。思想的にはトロツキズムの傾向が強かった。
(注4)アンリ・バルビュス――(一八七三ー一九三五)第一次世界大戦に取材した反戦小説『砲火』(一九六六年)によって名を高め、共産党員知識人として雑誌『クラルテ』によって反戦平和運動を展開する。
(注5)ポール・エリュアール――(一八九五―一九五二)シュールレアリスムの詩人からレジスタンスの詩人となり、共産党員詩人となる。
(注6)ランボオ――(一八五四―一八九一)少年にしてパリ・コミューンに出っくわした反抗の天才詩人。『酔いどれ船』『地獄の季節』は有名で、現代詩に大きな影響を与える。
(注7)ロートレアモン――(一八四六ー一八七〇)『マルドロールの歌』の作者。シュールレアリストのグループによって、シュールレアリスムの先駆者のひとりとみなされる。
(注8)アボリネール――(一八八〇ー一九一八)フランス現代詩の先駆的詩人。絵画のキュービスムを支持し、ピカソを支持する。
(注9)トリスタン・ツアラ――(一八九六ー一九六三)ルーマニア生まれの詩人。第一次大戦後チューリッヒでダダの運動を起こし、のちにパリに出てブルトン、アラゴンらと合流する。
(本文中のアラゴンの詩は、新日本文庫の『フランスの起床ラッパ』、飯塚書店『アラゴン選集』、角川書店『アラゴン詩集』より引用)
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