詩集の刷りあがる前日の三月二十四日、エリュアールは父親宛に速達便をだしたのち、とつぜん列車に乗ってパリを離れ、マルセイユから船に乗る。妻にも親友たちにも何の知らせもなかった。
「ランボオはポケットに拳《こぶし》をつっこみ、パイプをくわえて、アルデンヌを歩きまわった。世界一周の旅へむかって、にがい思いを抱きながら解き放たれて、エリュアールもまた《風の靴》を穿いたことを疑わない……」(リュシアン・シュレー)
彼の乗った船は、仏領マルチニック島のフォール・ド・フランス、ニュージーランドのウェリントン、豪州のシドニー、ジャワ島のジャカルタ、シンガポール、サイゴンとまわる。
父親が彼の速達便をうけとったときには、彼はもう見知らぬ目的地へむかって出発していた。その手紙も彼の出発の事については何も語っていない。
「もううんざりです。ぼくは旅に出ます。あなたがぼくのために計画してくれた商売はみんなあなたにお任せします。ぼくはいま一七〇〇〇フランほどのかねをもっています。公私にかかわらず、警察にぼくを探させないでください。ぼくの跡を追う最初の者をぼくは厄介払いします。それはあなたの名誉を汚すことになるでしょう……」
この突然の失踪については多くのことが語られてきた。失踪の謎をとくためにいくつかの仮説もたてられたが、エリュアールはつねに沈黙をまもっていて、確かなことはわからない。
ロベール・D・ヴァレットは、父親への速達便を論拠として、父親の職業(不動産業)にたいするエリュアールの嫌悪が失踪の原因だろうという。彼に課せられた仕事はほんのわずかなものであったが、彼はそれに堪えられず、とりわけ彼が道徳的に排していた投機による儲けを、父親と山分けすることに堪えられなかったのだろう。
またエリュアールは、シュールレアリスト・グループによって課せられたダダイスト的苦行にだんだん嫌気がさしてきたともいわれる。カフェーでの、夜から夜へとつづく果てしない議論にも、彼はもううんざりしていただろう。後年エリュアールを論じた『ランボオでもなくオルフェでもなく』のなかで、アラゴンもおなじような解明を試みている。
「……この喧騒の小宇宙は彼にとって耐えがたいものとなった。彼はすべての友人のなかからわたしを打ち明け話の相手にえらんだ。最後の夕ぐれ、最後の夜をわたしたちはいっしょに過した。そのとき彼がわたしに精確に話したことを、わたしは一度も口外したことはないし、これからもけっして口外しないだろう。……一年のあいだ彼は姿を消していた。われわれの友人たちがポールについて何かロマンスをつくろうと、ランボオを引き合いに出して話し始めるのを、わたしは何回となくやめさせなければならなかった。それから彼はわれわれのあいだにもどってきた。彼は世間というものを知ったのだ。だれも出かけはしない、ということを立証して」(アラゴン『共産主義的人間』第二巻)
(「だれも出かけはしない」というのはランボオの有名な言葉である)
このおなじ状況について、シュレーは『エリュアール全集』の序文に書く。
「エリュアールは、その作品におけるようにその生においても、欲望にもっとも重要な場所を与えた。そしてこの時期から彼はこの創造的感情に、無意識と自由が要求する重要性を与えようと試みる。彼は自分の全的解放のために闘い、その後もその闘いに倦むことがない。じっさい自由な魂にとってのみ幸福がある。詩人は、人びとに神々のように生きるすべを教えることが重要だと考える。では、いったいどこから彼の絶望はやってくるのか。この新しい危機はなぜなのか。じじつ強制拒否の彼方で、もっとも高い、もっとも純粋な意味で、この欲望の人は彼自身と闘っているように見える……」
(つづく)
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