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『エリュアール』 4.シュールレアリスム・詩人の失踪(2)

ここでは、「『エリュアール』 4.シュールレアリスム・詩人の失踪(2)」 に関する記事を紹介しています。

 
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(新日本新書『エリュアール』
 
エルンスト

エリュアールの家族とエルンストの家族、オーボンヌにて1924年




 エリュアールの詩的活動もこれ以来シュールレアリスムの歴史とともに展開する。彼の社会的関心もまた運動の展開のなかでその役割をはたすことになる。ダダイストたちと共有した破壊的反抗はエリュアールにおいてはつねに革命的であろうとする。彼はシュールレアリスムのいろいろな声明、宣伝、刊行物の作成に積極的に協力し、シュールレアリスムの代表的な詩人のひとりとなる。

 一九二二年の夏、エリュアールの二十篇の散文詩に、エルンストが二十のコラージュを添えた『不死なるものたちの不幸』が刊行された。
 その頃、ケルンにくすぶっていたエルンストは、フランスへの入国許可証なしにパリへゆく決意をする。かねもなくパスポートもなしにパリに現われた彼は、多くの前衛芸術家や友人たちの熱狂的な歓迎をうけた。
 エルンストは、ブローチや腕輪《ブレスレット》などの装飾品をつくる工房に仕事をみつけた。夜は、パリ北郊サン・ブリスにあるエリュアールの家に泊る。彼の妻や息子もそこで世話になる。ここで彼は『友人たちの集合』と題する画のなかに、前期シュールレアリストたちを描いたといわれる。注目すべきことに、そのなかにはツアラは描かれていない。
 一九二三年、エリュアールはおなじくパリ北郊の、モンモランシの森にちかいオーボンヌの家に移る。エルンストもまたいっしょに移って、エリュアール夫妻と生活を共にする。「エリュアールの家での生活は、ある時は軽やかに流れ、またあるときは重く流れる」(パトリック・ワルトベルグ)。しかしこの共同生活は、エリュアールにとってもっと深刻なものをはらんでいたようである。
 この頃エリュアールが書いた詩篇は、『死なないために死のう』(一九二四年)に収められているが、そこには苦悩と絶望が色濃くうたわれている。この詩集の題名は、アヴィラの聖テレーズの、「わたしは死なないために死ぬ」という有名な言葉に由来する。これは神への愛をあらわした驚くべき言葉である。神を愛する者にとって、生きること、死なないことは、耐えがたい断末魔の苦しみである。真の生は、魂と神とをひとつに結びつける死のなかにある……。この引用句によってエリュアールは自分の愛の情熱を──宗教とは無関係な世俗の愛の情熱を表現しようとした。この愛の情熱は、その矛盾する炎で彼を灼きこがし、さいなんでいた。この詩集のなかのいくつかの詩は、じっさい、その頃の彼が苦しみ悩んでいた感情的な不安や断腸の思いの跡をとどめている。

   赤裸々な真実

絶望には 翼がない
愛にもまた 翼がなく
顔もなく
語りかけない
ぼくは 身じろぎもしない
ぼくは それらを見ない
ぼくは それらに語りかけない
だがぼくは ぼくの愛 ぼくの絶望と同様に生きている

 一九二四年三月二十五日、詩集『死なないために死のう』が刷りあがった。この詩集の扉には「すべてを単純化するためぼくの最後の本をアンドレ・ブルトンに捧げる」という献辞がある。まるで自殺か何かをほのめかすような思いつめようである。「……この自己嫌悪、この不吉な予感……そんなものを追いつづけても何になろう……〈むしろすべてを消し去ろう〉と彼は考える」(リュシアン・シュレー)

(つづく)
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