シュールレアリスム・詩人の失踪
ダダの虚無的な冒険は長くはつづかなかった。
一九二〇年の怒りの爆発とともに、労働者階級の闘争が高揚する。一九二〇年十二月、社会党はトゥール大会において分裂し、四分の三の多数派がレーニンの提唱によって組織されたコミンテルン(第二インターナショナル)に加盟し、フランス共産党を創立する。これは当時の前衛的な詩人たちの関心と注意を惹いた。アラゴンとブルトンは、さっそくブルターニュ街にあった共産党セーヌ支部を訪れて、入党の意思表示を試みたが、応対に出た党員の日和見主義によって、詩人たちは幻滅して帰ってしまう。「こうしてわたしの入党は六年おくれることになった」とアラゴンは書いている。
その後、フランスで、ヨーロッパで、支配層による弾圧・圧制が強化される。革命勢力は分裂し、あるいは弱体化して、局外者にとって状況は静穏にむかい、秩序が回復されたかに見えた。しかしそれはむかしの無秩序にもどったのであり、資本主義の一時的な安定化にすぎなかった。
ダダのアナーキーな反抗も他のものに変らざるをえなかった。パリにおけるダダは、グループ内の意見の分裂によって一九二一年に終止符をうたれる。一九二二年、ブルトン、アラゴン、スーポーらはダダと手を切って、シュールレアリスムの運動を始める。エリュアールもこれに同調する。ダダがもっぱら否定をこととし、スキャンダルのためのスキャンダルを重ねるのにあきたらず、彼らは新しい表現方法──自動記述法を追求し、「超現実」の創造へとむかう。したがって、シュールレアリスムをダダの後継者とみなすことはできない。じっさい、シュールレアリスム的な傾向はすでにダダよりも先に始まっていた。一九一九年末のブルトンとスーポーの共著『磁場』は、すでに自動記述法による最初の試みであった。一九二二年の末には、ロベール・デスノスの催眠術による眠りの実験がおこなわれ、「眠りの時代」が始まった。この実験は、催眠術によって眠っているデスノスが、言葉によって、あるいは筆記によって、無意識のなかの言葉やイメージを記述するというものである。
シュールレアリスムという言葉が最初に使われたのは、アポリネールの『テレジアの乳房』の序文のなかである。「人間は歩行をまねて車を発明したが、車は人間の脚には似ていない。このように人間はそれと知らずにシュールレアリスムをつくったのだ……」
こうして、芸術は自然の模倣ではなくて創造であるとして、グループはこの名前をかざしてダダと訣別したのである。
シュールレアリストは、それまで知られなかった無意識の世界に踏みこんで、精神ぜんたいを解放するために自動記述法を採用した。そのとき彼らがよりどころとしたのが、その頃脚光を浴び始めていたフロイトの「精神分析」の理論であった。
シュールレアリストにとって重要なことは、論理、理性、道徳、法などから離脱することである。合理主義の論理的束縛を排し、社会的なタブーおよび性的なタブーの道徳的束縛を排し、「よい趣味」や「上品」といった審美的束縛に反対し、あらゆる表現法の強制に反対し、突飛なもの、驚異的なものへの感覚をみがくことである。このようなシュールレアリストの追求は、知覚および行動においても、「常識外れ」のものをさぐることになる。それは子供や原始人の知覚形式だけでなく、病人のそれにまで及ぶ。そこから偏執狂やヒステリーにたいする関心・執着がでてくる。
一九二四年の秋、シュールレアリスムの最初の文献としてアラゴンの『夢の波』が刊行され、ついでブルトンの『シュールレアリスム宣言』が発表され、機関誌「シュールレアリスム革命」が創刊される。
(つづく)
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