一九二〇年、エリュアールは『動物たちと彼らの人間たち、人間たちと彼らの動物たち』という奇妙な題名をもった詩集を刊行するが、その序文はダダの時代のエリュアールの立場を示すものとして、しばしば引用されるものである。
「……美や醜はわれわれには必要なものとは見えない。われわれはつねに、力強さや優雅を、甘美さや荒々しさを、単純さや数(調和)をちがったふうに考える。
ひとをしてこれは美しいとか醜いとか言わせ、態度を決めさせる、あのつまらぬことは、文学の数時代にわたって洗練された誤ちに由来する……
むつかしいが、絶対に純粋であるように努めよう。
そして饒舌家たちにはこと足りる、あのひとを苛だたせる語法《ランガージュ》、われわれの似たような額の冠と同じように死んだ語法、それをわれわれ相互の共同の交流に役立つ、魅惑のある、真の語法に還元し、つくり変えよう……」
エリュアールもその仲間たちと同様に、語法、表現法を変革する必要を感じ、新しい世界観に役立つ表現法の必要を感じたのである。三十年後、アラゴンは一九二〇年の若きエリュアールを思い出して書く。
「詩は語法《ランガージュ》である。それゆえに、語法を批判することほど詩人にとって必要なことはない。第一次大戦後の時代、このことをエリュアールほど深く確信したものはいなかった……」
しかしまた、エリュアールにとって詩を書くことは、それに用いる手法、語法についての熟慮反省なしには考えられないとしても、それでもやはり、エリュアールの詩は彼の個人的な生活の状況と深くむすびついている。
一九二一年五月、クレベル通りのオ・サン・パレイユ書店でマックス・エルンストの「コラージュ」数点をならべたダダ展がひらかれた。エルンスト自身はパリには姿を見せなかった。フランスへの入国パスポートが彼には当局から与えられなかったからである。この展覧会はパリの前衛芸術家たちのあいだに大きな反響をよんだ。展覧会の雰囲気はダダイスト的だったが、作品の内容はすでに、シュールレアリスムの名称はまだできていなかったが、まさにシュールレアリスム的であった。つねに造形的創造にきわめて敏感だったエリュアールはすっかり魅了された。
一九二二年九月、エリュアールはケルンにエルンストを訪れる。それは重要な出会いとなる。二人のあいだには深い友情が生まれる。そしてこの最初の出会いから最初の協力が生まれる。エリュアールの新しい詩集『反復』に、エルンストが十枚のコラージュを制作し、一九二二年にオ・サン・パレイユ社から刊行される。エリュアールは後に書く。
「一九一七年二月、シュールレアリスムの画家マックス・エルンストとわたしは、たがいに一キロメートルと離れない戦線にいた。ドイツ軍砲兵マックス・エルンストは、フランス軍歩兵のわたしが守備していた塹壕を砲撃していた。三年後、われわれはこの上ない親友となり、それ以来われわれは人間の全的解放というおなじ大業のために、粘りづよく一緒に闘っているのである」(『詩的自明のこと』)
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