一九一九年三月、アラゴン、ブルトン、スーポーらは「文学」誌を刊行する。この「文学」という誌名は明らかに反文学を意味する反語でありイロニーであった。三号(五月)からエリュアールもこれに参加し、詩篇「牝牛」を寄稿する。彼らは、既成道徳や伝統には盲従しないという非順応主義の態度、反因襲的な立場で一致していた。むろん、ロートレアモン、ランボオ、アポリネール、ピカソ、フロイトなどにたいする愛好においても一致していた。その頃の雰囲気をアラゴンは「言葉がわたしの手をつかんだ」(『未完の物語』)のなかに書いている。
…………
一日の終り頃 われわれは三人か四人で坐りこんで
物たちをつくり出すために音を組み合わせていた
のべつまくなしにメタモルフォズをおこないながら
そうして奇妙な動物たちを浮かびあがらせるのだった
…………
おお 天井に描いたような さかさまの映像よ
ビュッフォンも知らなかった 眠りから生まれた雑種の動物たち
…………
見たまえ 動物寓話集があり 動物讃歌集がある
夕ぐれ 獲物の頭数をかぞえ
われわれは苦《にが》い酒をのんでほろ酔いになる
おお 言葉の季節よ
(飯塚書店『アラゴン選集』第三巻八〇ページ)
一九一九年末、トリスタン・ツアラがパリに出てくると、このグループはダダと結びついて、「文学」誌はダダの機関誌となる。エリュアールもこの運動に参加し、いくつかの破壊と反抗の宣言に署名し、積極的な推進者のひとりとなる。スキャンダルをもっとも有効な武器のひとつとみなしたダダは、騒然としたスキャンダルーズな集会をひらく。ある「文学のマチネ」では、講演者のひとりが聴衆の面前で服を脱ぎはじめる……………サン・ラザール駅、ルルク運河、サン・ジュリアン・ポーヴル教会の空地などでも、示威運動の集会がひらかれた。タンプル区のオ・ズール街の会場でひらかれた集会では、ツアラが右翼の「アクション・フランセーズ」紙に掲載されたレオン・ドーデの論説を滑稽な調子で早口に朗読する。その一方、舞台脇では、アラゴンとエリュアールが小さな鈴を振って、ツアラの声をかき消す。苛立ち激昂した会場で、ファン・グリがわめく。「くたばってしまえ! やつらを銃殺しろ!」――それはなんと魅惑的な集会だったろう!
「ダダは、美や芸術の伝統的な概念を破壊しようとしただけではなく、あらゆる価値を否定し、理性や論理をふくめてあらゆる因襲慣例を一掃し、自由意志とスキャンダルによって人間の深部の力を解放しようとした。
エリュアールが「文学」誌第三号に寄稿した「牝牛」には、ダダの新しい精神と『平和のための詩』の延長とみられるものとがまじりあっているように見える。
ひとは牝牛を連れて行かない
草の刈られた 乾いた草地へは
愛撫のない 優しさのない草地へは
牝牛を迎える草は
一本の絹糸のように柔らかくなければ
絹糸は一筋の牛乳のように甘くなければならない
ひっそりとひとに知られぬお母さん
子供たちにとって それは昼食ではなく
草のうえの牛乳なのだ
牝牛の前の 草
牛乳の前の 子供
(『動物たちと彼らの人間たち……..』)
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