博光さんは2006年1月9日の朝、入院先の武蔵野中央病院で亡くなりました。
この日の7時ころか、美枝子さん(養女で秋光の元妻)から「血圧が下がって危険な状態だと病院から連絡が来たのですぐ来て!」と電話があり、急いで千葉の自宅から病院に向かいました。実は2,3日前に美枝子さんから「ゼーゼー苦しそうな呼吸をしていて心配」と電話があったので、振り替え休日だった9日は見舞いに行く予定でした。
病院につくと救命の手当もおわっていました。動かなくなった胸に胸を合わせて最後のあいさつをしました。
前日に尾池和子さんが見舞っていて日誌に記録していてくれました。
大学ラグビーの決勝戦をテレビで観て、早稲田の優勝を知ると「何か美味いもの食べに行こう!」といい、男性ナースからも「五日に発熱し、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われたそうで、小康状態に向かっているようでした。あまり苦しむこともなく、やすらかな最期だったのでしょう。
◇ ◇ ◇
一月八日(日)
病室へ伺った時は、二時をまわって大学ラグビーの決勝戦がもう始まっている時間でした。
眠っていらっしゃるので、テレビをつけてご覧になりやすい位置に向け「ラグビーですよ」と声をおかけすると、目を開かれ、すぐに見始められました。半ばうとうとされながらご覧になっていらっしゃいましたが、早稲田が三十点をとったところで「もう大丈夫だ」とつぶやかれ、試合最後のあたりは眠られていました。
試合が終わってから「優勝おめでとうございます」と、また声をおかけしますと
「何か美味いもの食べに行こう!」
(何がいいですか?)
「そうねぇ」
(お肉?)
「それもいいねぇ。どこがいい? 考えておいて」
「スープか、何か甘いものは無いの?」
(連休なので明日ご家族が美味しいものを持ってみえると思います)
「今無いの?」
今日は鼻に酸素のチューブをつけられ、腕に点滴をされています。たんがからむせいか「声が出ない」とおっしゃっていましたが、話されるうち声もはっきりし、少しむくんだようにみえたお顔も、血色が良く生気があるようにみえ、張っていた脚のむくみもひいて、あぁ、よかったと思ったほどでした。
以前の入院の時も看て下さっていた男性ナースが回診にみえ「五日に発熱...八度五分くらい...だったので、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。今日は食事は摂れないですが、だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われました。もう少ししたら点滴がはずれ、また美味しいものを召し上がれるようになるのだと思いました。アラゴン協会のアルベルティーニ氏が送って来たフランスやスペインを巡回するというエルザ・トリオレ文学展のパンフレットをお見せすると「これは何?」と言われましたが、そうこうしているうちに寝入ってしまわれました。ふだんと変わらない呼吸で、平静にみえました。窓の外のすっかり葉が落ちた欅の高い木立には、「いつも見ているよ」と言われる鳥の巣が黒いシルエットとなっています。病室の中は温かく、頭床台に飾られた黄色いチューリップが茎や葉をおおらかに伸ばし、枕元ではピカソの鳩が小枝をくわえ、羽ばたいています。
ずっと眠っていらっしゃるので、今日は夕食が出ないのなら、このままお起こししないでおいとましようと、窓のカーテンをひき、ベッドまわりを整え病室を出ました。部屋の敷居を踏み出したところで、足が止まり、ふと引き返しました。
しばらく足許の丸い椅子に座ってご様子をみていましたが、変わらずよく眠っていらっしゃいました。落ち着いていらっしゃるし、早稲田が勝ってご機嫌も良いし、失礼しようと立ち上がり、タオルを目の上にのせられているご様子を見、初めて下連雀へお伺いした日の、目にタオルをのせて休まれていらした、書斎のあるほの暗い寝室での姿と重なりました。あの時と同じご様子だと思いながら、大きな不安の中にも小さな安心を抱き、すでに日が落ちた冬の道へと病院を後にしました。
(尾池和子「大島博光語録Ⅱ」)
この日の7時ころか、美枝子さん(養女で秋光の元妻)から「血圧が下がって危険な状態だと病院から連絡が来たのですぐ来て!」と電話があり、急いで千葉の自宅から病院に向かいました。実は2,3日前に美枝子さんから「ゼーゼー苦しそうな呼吸をしていて心配」と電話があったので、振り替え休日だった9日は見舞いに行く予定でした。
病院につくと救命の手当もおわっていました。動かなくなった胸に胸を合わせて最後のあいさつをしました。
前日に尾池和子さんが見舞っていて日誌に記録していてくれました。
大学ラグビーの決勝戦をテレビで観て、早稲田の優勝を知ると「何か美味いもの食べに行こう!」といい、男性ナースからも「五日に発熱し、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われたそうで、小康状態に向かっているようでした。あまり苦しむこともなく、やすらかな最期だったのでしょう。
◇ ◇ ◇
一月八日(日)
病室へ伺った時は、二時をまわって大学ラグビーの決勝戦がもう始まっている時間でした。
眠っていらっしゃるので、テレビをつけてご覧になりやすい位置に向け「ラグビーですよ」と声をおかけすると、目を開かれ、すぐに見始められました。半ばうとうとされながらご覧になっていらっしゃいましたが、早稲田が三十点をとったところで「もう大丈夫だ」とつぶやかれ、試合最後のあたりは眠られていました。
試合が終わってから「優勝おめでとうございます」と、また声をおかけしますと
「何か美味いもの食べに行こう!」
(何がいいですか?)
「そうねぇ」
(お肉?)
「それもいいねぇ。どこがいい? 考えておいて」
「スープか、何か甘いものは無いの?」
(連休なので明日ご家族が美味しいものを持ってみえると思います)
「今無いの?」
今日は鼻に酸素のチューブをつけられ、腕に点滴をされています。たんがからむせいか「声が出ない」とおっしゃっていましたが、話されるうち声もはっきりし、少しむくんだようにみえたお顔も、血色が良く生気があるようにみえ、張っていた脚のむくみもひいて、あぁ、よかったと思ったほどでした。
以前の入院の時も看て下さっていた男性ナースが回診にみえ「五日に発熱...八度五分くらい...だったので、点滴になってしまいましたが、今日は熱も下がり、たんもあまり多くないよう。今日は食事は摂れないですが、だんだん、またもとに戻るでしょう」と言われました。もう少ししたら点滴がはずれ、また美味しいものを召し上がれるようになるのだと思いました。アラゴン協会のアルベルティーニ氏が送って来たフランスやスペインを巡回するというエルザ・トリオレ文学展のパンフレットをお見せすると「これは何?」と言われましたが、そうこうしているうちに寝入ってしまわれました。ふだんと変わらない呼吸で、平静にみえました。窓の外のすっかり葉が落ちた欅の高い木立には、「いつも見ているよ」と言われる鳥の巣が黒いシルエットとなっています。病室の中は温かく、頭床台に飾られた黄色いチューリップが茎や葉をおおらかに伸ばし、枕元ではピカソの鳩が小枝をくわえ、羽ばたいています。
ずっと眠っていらっしゃるので、今日は夕食が出ないのなら、このままお起こししないでおいとましようと、窓のカーテンをひき、ベッドまわりを整え病室を出ました。部屋の敷居を踏み出したところで、足が止まり、ふと引き返しました。
しばらく足許の丸い椅子に座ってご様子をみていましたが、変わらずよく眠っていらっしゃいました。落ち着いていらっしゃるし、早稲田が勝ってご機嫌も良いし、失礼しようと立ち上がり、タオルを目の上にのせられているご様子を見、初めて下連雀へお伺いした日の、目にタオルをのせて休まれていらした、書斎のあるほの暗い寝室での姿と重なりました。あの時と同じご様子だと思いながら、大きな不安の中にも小さな安心を抱き、すでに日が落ちた冬の道へと病院を後にしました。
(尾池和子「大島博光語録Ⅱ」)
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