アルベルティと大島博光
ラファエル・アルベルティは1902年生まれのスペインの詩人。
ガルシア・ロルカやパブロ・ネルーダの親しい友人で、スペイン戦争に際しては共和国の立場に立ち、「国際義勇旅団の歌」などの詩を書いて闘った。共和国側の敗北後はアルゼンチンやイタリアに亡命し、祖国スペインヘの望郷の歌を書きつづけた。1977年、38年間にわたる亡命生活を終えて祖国スペインに帰り、民衆の熱烈な歓迎を受けた。
大島博光はネルーダに取り組んだ関連からアルベルティにも関心をもち、彼の詩を訳して新聞などに紹介し、訳詩集『マチャード・アルベルティ詩集』を刊行した。1979年マドリードで開催されたチリ連帯国際会議に参加した大島博光は「壇上にアルベルティを認めて面談を申し込んだが、疲れているといわれて実現できなかった」と語っている。
1999年アルベルティ死去のおりには追悼詩を書いた。
<作品リスト>
『マチャード・アルベルティ詩集』 土曜美術社出版販売 1997年
「海のうえの牡牛」(訳詩) 『赤旗』1976年3月26日
「平和と軍縮と自由のための歌」(訳詩) 『世界政治』1982年1月下旬号
「老い知らず高鳴る詩精神 アルベルティのこと」(解説記事) 『赤旗』1982年7月14日
「これなる将軍」(訳詩) 『赤旗』1982年7月14日
「アルベルティ追悼」(詩) 『詩人会議』2000年4月号
ラファエル・アルベルティは1902年生まれのスペインの詩人。
ガルシア・ロルカやパブロ・ネルーダの親しい友人で、スペイン戦争に際しては共和国の立場に立ち、「国際義勇旅団の歌」などの詩を書いて闘った。共和国側の敗北後はアルゼンチンやイタリアに亡命し、祖国スペインヘの望郷の歌を書きつづけた。1977年、38年間にわたる亡命生活を終えて祖国スペインに帰り、民衆の熱烈な歓迎を受けた。
大島博光はネルーダに取り組んだ関連からアルベルティにも関心をもち、彼の詩を訳して新聞などに紹介し、訳詩集『マチャード・アルベルティ詩集』を刊行した。1979年マドリードで開催されたチリ連帯国際会議に参加した大島博光は「壇上にアルベルティを認めて面談を申し込んだが、疲れているといわれて実現できなかった」と語っている。
1999年アルベルティ死去のおりには追悼詩を書いた。
きみがマドリード郊外バラハ空港に降り立ったのは
一九七七年五月 フランコはもういなかった
大群衆と赤旗とインターナショナルがきみを迎えた
なつかしい祖国の大地を踏みしめてきみは見た
フランコの弾圧・圧制の四〇年にもかかわらず
スペイン人民が 死ななかったということを
きみはカディス選出の共産党上院議員となる
ふたたび平和の歌がきみの口から鳴りひびく
「花咲く平和を 基地のないスペインを」
アルベルティよ きみにも死がやってきた
しかし 嵐のなかで挙げたきみの雄叫びは
イベリヤの 人民の記憶から消えないだろう (「アルベルティ追悼」)
一九七七年五月 フランコはもういなかった
大群衆と赤旗とインターナショナルがきみを迎えた
なつかしい祖国の大地を踏みしめてきみは見た
フランコの弾圧・圧制の四〇年にもかかわらず
スペイン人民が 死ななかったということを
きみはカディス選出の共産党上院議員となる
ふたたび平和の歌がきみの口から鳴りひびく
「花咲く平和を 基地のないスペインを」
アルベルティよ きみにも死がやってきた
しかし 嵐のなかで挙げたきみの雄叫びは
イベリヤの 人民の記憶から消えないだろう (「アルベルティ追悼」)
<作品リスト>
『マチャード・アルベルティ詩集』 土曜美術社出版販売 1997年
「海のうえの牡牛」(訳詩) 『赤旗』1976年3月26日
「平和と軍縮と自由のための歌」(訳詩) 『世界政治』1982年1月下旬号
「老い知らず高鳴る詩精神 アルベルティのこと」(解説記事) 『赤旗』1982年7月14日
「これなる将軍」(訳詩) 『赤旗』1982年7月14日
「アルベルティ追悼」(詩) 『詩人会議』2000年4月号
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