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ラファエル・アルベルティ略年譜

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ラファエル・アルベルティ略年譜
      
一九〇二年 十二月十六日、スペイン南西部、大西洋に面したカディス湾の港プエルト・デ・サンタ・マリアに生まれる。祖父はイタリアから移ってきたイタリア人で、広大なぶどう畑とぶどう酒の酒倉を所有する大ブルジョワであった。
      
一九一二年 プエルトの郊外にあるサン・ルイ・デ・ゴンザーグの中学に入学する。      
      
一九一七年 一家はマドリードに移る。初めはアトーチャ街に住み、ついでラガスカ街一〇一番地に移り、二十八歳までそこに住む。アルベルティは画家の叔母ローラの影響で中学生の頃から絵を描き始め、マドリードに移ってからは、画家になりたいと両親に告げる。プラド美術館に通ってゴヤやヴェラスケスなどを熱心に模写する。 
                                           
一九二〇年 カルデナル・シスネロス高校(リセ)に入学。学友たちとともに詩を読むようになる。十月、マドリードの「秋のサロン展」に数点の絵を出品するが不評だった。この年、父親死亡。死者の枕もとで、それまで父親に冷淡だったことへの許しを乞うて、最初の詩を書く。
      
一九二四年 ガルシア・ロルカと親交を結ぶ。
      
一九二五年 最初の詩集『陸の水夫』によって国民文学賞を獲得する。選考委員のひとりはアントニオ・マチャードであった。
      
一九二七年 ガルシア・ロルカ、ギエン、サリナスなどと友交を結び、セルヌーダ、アレサンドレ、ディエゴ、ダマン・アロンソなどとともに、「二七年の世代」と呼ばれるグループをつくる。
      
一九二五年から一九二九年にかけて、詩集『恋びと』『岩乗』『天使たちについて』を刊行する。この最後の詩集は、ロルカの『ジプシーの歌うたい』とともに、スペイン詩の重要な詩集と言われる。ついで最初の政治詩集『市民の悲歌』を公表する。
      
一九三〇年 この年の初め、チリの詩人パブロ・ネルーダの詩集を読み、文通を始める。その後、一九三四年、ネルーダがマドリード駐在領事として赴任したとき、アルベルティをはじめ、ロルカ、ミゲル・エルナンデスなど、若いスペイン詩人たちはネルーダを歓迎し、その交友のなかから ネルーダ編集による詩誌『緑の馬』が生まれる。
      
一九三一年 二つの劇作品『荒廃した男』『フェルミン・ガラン』がマドリードで上演される。女流劇作家マリア・テレサ・レオンと結婚。彼女とともに、演劇の勉強のためにヨーロッパじゅうを歩く。
      
一九三三年 祖国に帰り、妻とともに革命的な文芸誌『十月』を創刊する。
      
一九三六年 スペイン市民戦争のあいだ、人民戦線の兵士を鼓舞するために、雑誌『菜っぱ服』を友人たちと刊行し、兵士のために詩や劇を書く。
      
一九三八年 マドリード防衛戦をうたった詩集『栄光の首都』を刊行。
      
一九三九年 スペイン共和国側の敗北後、パリに亡命し、ついでアルゼンチンに二十四年間亡命する。その間、多くの詩、劇、絵画をつくる。
      
一九六三年 ローマの郊外に居を定める。
      
一九六五年 レーニン平和賞を受ける。
      
一九七一年 ピカソ画集『アヴィニヨンのピカソ』(セルクル・ダール社版)の解説および詩を書く。
      
一九七四年 ピカソ画集『途切れない光』(セルクル・ダール社版)の解説および詩を書く。
      
一九七七年 スペインに帰る。フランコ後の最初の民主的議会にカディスより選出される。

一九八三年 スペイン語の作家に与えられる最高の栄誉「セルバンテス」賞を受賞する。

(『マチャード/アルベルティ詩集』 1997年)

*大島博光「ラファエル・アルベルティ追悼
 アルベルティ



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