永井智雄著
光と影の国で─たたかいのスペインを行く
新劇人の永井智雄がヨーロッパ公演の帰りにスペインを訪れたのは一九七八年十一月で、大島博光がチリ連帯国際会議(マドリード)に参加したのと同じ時期でした。フランコが死去して三年、民主派の躍進で混沌としたスペインに強烈な印象を受けて書いたのが本書です。
「ここマドリードでは過去と現在と未来とがごっちゃになって、せめぎあい、たたかっている《*》」と大島博光さんは書いているが、この詩人の感覚はシャープだ、とまえがきにあります。
若い世代にスペイン戦争の意義を理解してもらえるだろうかとの自問への答えが素晴らしい。
◇ ◇ ◇
ぼくの青春は、スペイン戦争とは、切り離せないものだった――マドリードの人民軍よ、持ちこたえてくれ……そんな思いが、若いぼくたちの心をいつもゆさぶっていた。しかし、今の若い世代――第二次世界大戦も、ある場合には、六〇年安保も知らないという世代に対して、この民主主義を選ぶか、ファシズムに屈するか――というたたかいを、どう理解してもらえるだろうか……。若い世代には、スペイン戦争なんて、それこそ、戦国時代のことのように、色あせて見えるかもしれないのだ。殊に現在の日本のように、政治的無関心を助長していく荒廃の中では、スペイン戦争と、人間の尊厳をまもるために、勇敢な抵抗をつづけた人民軍の偉業もまた、風化してしまうのだろうか……。
しかし――とぼくは考える。ぼくのまわりの若い俳優たちを見ても、彼らは、イプセンを、チェーホフを、つまり日本を含めた世界の近代劇を勉強し、そのすぐれた戯曲の中に身を浸し、くぐり抜けて来なければ、日本を含めた世界の現代劇も、ゆたかに表現できないということを知っている。そればかりではない、ギリシャ劇やシェイクスピアの、おおらかさを、どう表現するかに心を砕いている。すぐれた近代劇や、シェイクスピア劇には観客もまた、期待をもってあつまる──自分の好きな俳優が出るからとか、テレビで、あの俳優を知っているからという理由だけではないだろう。俳優も観客も、歴史の中に現在が構築されていることを知っているからだと思う。現代の自分たちの生活を検討するためにも、歴史的真実を媒介にしなければならないことを知っているからだと思う。ぼくたちの俳優、ぼくたちの観客の、こうした姿勢は、多数者の中に拡大していくことのできる姿勢ではないだろうか……。
(新日本出版社 一九七九年)
*「ここマドリードでは……」は詩「マドリード一九七八年十一月 ──チリ連帯国際会議で」で使われた詩句。
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