羊を抱いた男
人類愛の象徴として…… 大島博光
第二次大戦中、ドイツ軍に占領されたパリで、その悪条件のもとで、ピカソは浴室を彫刻の仕事部屋に改造して彫刻をつづける。一九四三年には「羊を抱いた男」が制作される。この作品では「羊の献納」という地中海の伝統的な主題がとりあげられながら、全く新しい内容が与えられている。最初それは、田舎の羊飼いの一場面のように見える。しかし羊の頭部が悲壮な呼びかけを表現していることが分かってくると、羊飼いは一種の予言者となる。ピカソは、戦争が人びとのうちに呼び起こす不安、連帯、優しさなどを、この独創的なイメージのなかに結晶させた。戦後、それは人類愛の象徴として歓迎される。
「……ゲルニカの廃墟の上に、ひとりの男が帰ってきた。腕のなかに啼く仔羊を抱え、心には一羽の鳩を抱いていた。彼
は愛にはありがとうと言い、圧制には反対だと叫ぶ……」(エリュアール)
パリ解放後まもなくピカソは共産党への入党を決意する。ときにピカソ六十三歳。
「わたしの共産党への入党は、わたしの全生涯、全作品の当然の帰結である。……この怖るべき圧制の数年は、自分の芸術をもって闘うだけでなく、わたし自身のすべてをあげて闘わねばならぬことを教えた……そこでわたしはためらうことなく共産党へ行った。……わたしは再びわが兄弟たちに仲間入りしたのだ」
また「泉へ行くように、わたしは共産党へ行った」というピカソの言葉は有名なものである。
こんにち、「羊を抱いた男」のブロンズ像がヴァローリスの広場に立っている。
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