ビルマで戦死した武井脩の詩や手記は戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』に載っています。第2集の妻への手紙の中で「……書いた手紙も海の藻屑と消え失せるかもしれないと思うと、たよりなど書く気になれぬ。しかし大島博光氏とあなたにだけは全魂を傾けて私は書きに書いている。たとえこれらの手紙が海に沈もうと、神様はこれらの文字と真心を読んでくださるであろう。」
大島博光は「武井脩はたしか九大の学生で、とてもいい詩を書いていました。会ったことはありませんが、一時はよく文通もしていました」と友人あての手紙に書いていました。
二人のあいだにどんな交流があったのかは不明でしたが、このたび花岡脩の名で『蝋人形』を調べたところ、11篇の作品が掲載されていることがわかりました。
●第12巻第10号(十月号)1941年10月1日発行
詩人と死 花岡脩
●第13巻第1号(新年号)1942(昭和17)年1月1日発行
母よひかりのごとく 花岡脩
●第13巻第4号(四月号)1942年4月1日発行
紅幻の歌 花岡脩
●第13巻第8号(八月号)1942年8月1日発行
群像の歌 花岡脩
●第13巻第10号(十月号)1942年10月1日発行
愛のために 花岡脩
●第13巻第11号(十一月号)1942年11月1日発行
くららよ 花岡脩
●第14巻第2号(二月号) 1943年2月1日発行
くららに 花岡脩
●第14巻第5号(五月号)1943年5月1日発行
夜光蟲 花岡脩
●第14巻第10号(十一月号) 1943年11月1日発行
シュエダゴン・パゴダ 花岡脩
●第14巻第11号(十二月号) 1943年12月1日発行
アラカン断章──ビルマにて── 花岡脩
●第15巻第2号(二・三月合併号) 1944年2月1日発行
あらかん神話──序章── 花岡脩
(この号で戦争のため休刊)
なお、大島博光が『蠟人形』の編集を担当したのは第11巻1940年5月からです。
武井脩は1942(昭和17)年2月入営、12月外地出征、昭和20年5月26日ビルマ、ミヨジャン附近にて行方不明(戦死)とされていますので、第14巻以後の5篇が出征先(主にビルマ)から投稿されたことになります。
「全魂を傾けて書きに書いてい」たのは『蠟人形』にあてた詩だったのですね。
武井脩の霊にささげた「《断崖の声》への鎮魂歌」が胸に迫ってきます。
【武井脩(旧姓花岡)略歴】
大正六年六月九日徳島県に生る。
和歌山高商を経て昭和十四年九州大学法文学部経済学科に入学。.十六年十二月卒業。
十七年二月入営。十二月外地出征。
二十年五月二十六日ビルマ、ミヨジャン附近にて行方不明。陸軍中尉。
(戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』より)
大島博光は「武井脩はたしか九大の学生で、とてもいい詩を書いていました。会ったことはありませんが、一時はよく文通もしていました」と友人あての手紙に書いていました。
二人のあいだにどんな交流があったのかは不明でしたが、このたび花岡脩の名で『蝋人形』を調べたところ、11篇の作品が掲載されていることがわかりました。
●第12巻第10号(十月号)1941年10月1日発行
詩人と死 花岡脩
●第13巻第1号(新年号)1942(昭和17)年1月1日発行
母よひかりのごとく 花岡脩
●第13巻第4号(四月号)1942年4月1日発行
紅幻の歌 花岡脩
●第13巻第8号(八月号)1942年8月1日発行
群像の歌 花岡脩
●第13巻第10号(十月号)1942年10月1日発行
愛のために 花岡脩
●第13巻第11号(十一月号)1942年11月1日発行
くららよ 花岡脩
●第14巻第2号(二月号) 1943年2月1日発行
くららに 花岡脩
●第14巻第5号(五月号)1943年5月1日発行
夜光蟲 花岡脩
●第14巻第10号(十一月号) 1943年11月1日発行
シュエダゴン・パゴダ 花岡脩
●第14巻第11号(十二月号) 1943年12月1日発行
アラカン断章──ビルマにて── 花岡脩
●第15巻第2号(二・三月合併号) 1944年2月1日発行
あらかん神話──序章── 花岡脩
(この号で戦争のため休刊)
なお、大島博光が『蠟人形』の編集を担当したのは第11巻1940年5月からです。
武井脩は1942(昭和17)年2月入営、12月外地出征、昭和20年5月26日ビルマ、ミヨジャン附近にて行方不明(戦死)とされていますので、第14巻以後の5篇が出征先(主にビルマ)から投稿されたことになります。
「全魂を傾けて書きに書いてい」たのは『蠟人形』にあてた詩だったのですね。
武井脩の霊にささげた「《断崖の声》への鎮魂歌」が胸に迫ってきます。
【武井脩(旧姓花岡)略歴】
大正六年六月九日徳島県に生る。
和歌山高商を経て昭和十四年九州大学法文学部経済学科に入学。.十六年十二月卒業。
十七年二月入営。十二月外地出征。
二十年五月二十六日ビルマ、ミヨジャン附近にて行方不明。陸軍中尉。
(戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』より)
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