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マルクス『フランスにおける内乱』  解説(三)四つの章 (4)コミューン戦士を情熱的に擁護

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擁護


(カール・マルクス『フランスにおける内乱』解説 村田陽一)

バラ



(コミューン戦士を情熱的に擁護)
 マルクスは、農民および都市勤労小ブルジョアジーを労働者階級の同盟者として獲得するのに役だつコミューンの方策に、大きな注意をはらっている。一八世紀末の大革命以来、フランスにおける革命は、つねに国民の大多数者である農民の保守的傾向のために挫折してきた。マルクスは、パリ・コミューンの方策が勤労農民の切実な利益にかなったものであることを示して、パリがヴェルサイユ派によって地方から遮断されていなかったならば、農民はコミューンに味方したであろうという確信を述べている。パリ・コミューンに呼応して、ドイツ軍の占領地域外の個々の大都市にコミューンが打ち立てられたが、いずれも孤立した運動に終わった。
 それにしても、コミューンが農民との結合を打ち立てえなかったことは、その大きな敗因の一つであった。マルクスはまた、コミューンが防衛的な戦術に終始したこと、敵にたいしてあまりにも寛大だったことを、その誤りとしてあげている。クーゲルマンへの手紙のなかで、マルクスは、国民軍中央委員会があまりにも早く権力をコミューンに譲ったこと、つまり、そのために強固な指導的中核が欠如したままになったことを、パリ人の誤りとしてあげている(一六七ページ)。エンゲルスはまた、フランス銀行の国有化を怠った誤りをつけくわえてあげている(二一ページ)。エンゲルスは、のちにパリ・ミューンの敗北に言及して、勝利したプロレタリアートが「その権力にものを言わせ、資本主義的な敵を抑圧し、社会の経済的革命をおこなわなければ」、敗北と労働者階級の大量的殺戮はまぬかれられない、と述べている(一八八三年四月一八日付、フィリップ・ヴァン・パッテンへの手紙)。これらすべての誤りの根底にあった根本的な弱点は、パリの運動が革命的な科学的綱領をもった労働者階級の政党をもたなかったことであった。だが、いっそう基本的なこととして、当時における資本主義の生産力の発展が、まだプロレタリア革命の永続的勝利に必要な水準に達していなかったことは、今日から見れば明らかである。
 第四章でマルクスは、コミューンの没落にいたる英雄的な、そして凄惨な戦闘の経過を述べ、敗れたコミューン戦士を情熱的に擁護し、労働の隷属に基礎をおく邪悪な文明に挑戦する大胆な叫びをもって結んでいる。
 パリ・ミューンは、さまざまな歴史的事情のため、プロレタリアートの階級支配を打ち立てようとする英雄的な試みにとどまった。しかし、新社会の光栄ある先駆者としてのコミューンの記憶は、今日も全世界の勤労者の心に聖なるものとして保存されており、コミューンの教訓は、マルクスのこの書物やレーニンの著作を媒介として、二〇世紀の諸革命に血となり肉となって生かされている。そればかりではない。コミューンの経験のゆたかな内容は、今日なお汲みつくされてはおらず、新しい探求が繰りかえし立ちかえる源泉として役だっている。マルクス、エンゲルス、レーニンがしばしば述べているように、プロレタリアートにとって、自分の革命的過去、革命的伝統は、闘争のエネルギーと確信を汲みとる源泉、誤りを避けることを学ぶ学校の意味をもつのであって、この伝統の研究は、革命のためのプロレタリアートの主体的準備の本質的な部分をなすのであるが、パリ・コミューンはまさに世界の労働者階級の革命的伝統の最も貴重な結晶の一つであることを、あらためて強調しておきたい。

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