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マルクス『フランスにおける内乱』  解説(三)四つの章 (3)当面していた課題

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(カール・マルクス『フランスにおける内乱』解説 村田陽一)
 
バラ



(当面していた課題)
 こうして、コミューンは、その推進力、構成、性格、傾向において労働者階級の権力であったが、その当面していた課題の内容は、まえにも述べたように、なによりもまず民主主義的、民族的なものであった。すなわち、ボナパルト帝政の遺産を清算して、政治・経済生活の徹底的な民主化をはかり、プロイセンの侵略から首都を守り、ボナパルティズムと大ブルジョアジーの支配によって破滅させられた国の更生の道をひらくことであった。エンゲルスの言うように、徹底的な民主化は、労働者階級の自由のための欠かしえない基礎をつくりだすものであったし、またコミューンは直接に労働者階級の利益になり、部分的に旧社会秩序に深く切りこむような決定を採用したが(一八ページ)、ヴェルサイユとの内戦の条件下では当然なこととして、それらの方策は「人民による人民の政府のすすむべき方向」を示すことしかできなかった(九二ページ)。コミューンには、その本来の傾向を十分に発展させる時間があたえられなかったのである。「コミューンの偉大な社会的方策は、行動するコミューンそのものの存在であった」というマルクスのことばも、この意味に理解されるべきであろう。
 コミューンを中央集権制に反対する地方分権主義的傾向の現われのように見る見解をマルクスはとくに批判して、コミューン制度が国民の統一を破壊するものではなく、それを真に組織するものであることを強調している(八二─八三ページ)。この明瞭な指摘にもかかわらず、コミューンを中央集権制、一般に組織された権力のアンチテーゼのように見る見解は、その後も修正主義者(ベルンシュタイン)や、無政府主義者によってたえず再生産されてきたし、さきごろ一時わが国のジャーナリズムをにぎわせたコミューン論議にも、その傾向が現われていた。この点に関連して、八二ページにあげられているコミューンの「全国的組織の見取図」のなかに述べられている代議員の拘束委任制について、一言注意しておきたい。地方的、特殊的利益を全体的な利益に優先させる拘束委任制は、たしかに代議制とも、中央集権制とも矛盾する制度である。しかし、マルクスは、ここではこの見取図を紹介するなかで、下からの創意を重んじるその傾向の一標識としてこの制度にふれているのであって、拘束委任制そのものについて可否の意見を述べているのでないことを、見おとしてはならない。エンゲルスがその序文のなかで、この制度をはっきりと「なくもがな」の措置だと述べている(二五ページ)ことに注意されたい。
 対外戦争の条件下で、またヴェルサイユ派によってかきたてられた排外主義熱(コミューンの敗北後、パリで捕えられた外国人は、ヴェルサイユ軍によって無差別に処刑された)の雰囲気のなかにあって、コミューンが断然国際主義的であったというマルクスの指摘は、きわめて重要である。労働者の国際的な闘争歌『インタナショナル』の歌詞が、コミューン戦士ウジェーヌ・ポティエの筆から生まれたことも、コミューンの国際主義的精神の一証左となるであろう。

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