(『世界政治資料』─パリ・コミューン100周年国際討論会 1971.7.10)
*ジャック・デュクロはフランス共産党の指導者。第一次大戦後、フランス共産党創立に関わり、ドイツ占領下でレジスタンスを指導した。
アラゴン「ジャック・デュクロ追想」参照。
著書「パリ・コミューン」は日本語訳で出版されている(新日本選書 1971年)。
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同様な利害と願望の共通性が、各国で独占資本の政策の犠牲となっている勤労者たちを団結させている。また兄弟的な結合がかれらと社会主義諸国人民との間に樹立されている。
しかしそれにもかかわらず、主要な生産・流通手段の集団的所有という一般法則の適用を意味する社会主義は、各国の民族的特殊性を考慮しないでは、考えられないのである。
たとえば、一七八九年のフランス革命は、すべての民族にたいし、封建制を資本主義で代えるためとるべき道の模範を示した。
そして基本的には、フランス革命が設定した目標は、先進諸国の全体で達成されたけれども、用いられた方法はフランス革命家のそれと同じではなかった。
人民的愛国主義と当然あい補う地位にある国際主義は、今日も昨日同様重要であり、われわれとしては民族的狭隘さも、民族利益の否定同様、拒否しなければならない。
そしてレーニンの指導のもとに一九一七年一〇月の社会主義革命がパリのコミューン派の敗北にたいする最初の報復であり、人類の歴史の新時代をひらいたものであったが、われわれにとっては、フランス社会主義を樹立して、ここに報復を実現しなければ、報復はまだ完了したとはいえないだろう。
来る五月二三日には、われわれは連盟兵の壁のもとに、生き残っていた最後のコミューン戦士、すなわち一九四二年にノヴォシビルスクで死んだアドリアン・ルジェールを送ることができるだろう。
かれはその晩年を、最初にコミューン派のため報復してくれた国、ソ連に迎えられて過したのだった。
コミューン派ウージェーヌ・ポッティェの不滅の詩「インタナショナル」に作曲したピエール・ドゥジェテールが、大聴衆の前に大管弦楽団を指揮してこのたたかいと希望の歌を演奏したのも、ソ連であり、それは一九二八年コミンテルン第六回大会の時のことだった。
世界の多くの国で、パリ・コミューンが祝われているが、フランスでは、一八七一年に天をも襲う勢いだったこれらパリ人の輝かしい思い出をよびおこすためには、官辺のイニシャチブではなく、この討論会のような民間のイニシャチブを発揮させなければならないのである。
しかしわが政府当局者の態度がどのようなものであろうとも、われわれが世界の現勢をみて、ヴェルサイユ派の後継者はいまどこにおり、コミューン派の後継者であるわれわれはどんな地位を占めているかを知るならば、われわれはわがコミューン派の詩人ウージェーヌ・ポティェとともに、ふたたび
「コミューンは断じて死せず!」
とうたうことができるのである。
コミューンは死んでいないし、わが政府がそれを知らないふりをするならば、それは一〇〇年をへだててなおコミューンが恐ろしいからである。けだしコミューンは資本主義の終焉と社会主義の開幕を予告したからである。
さてこの討論会を終わるにあたり、わたしはわれわれが未来に全幅の信頼をいだいて、つぎのようにいうことができると確信する。
パリ・コミューン万歳!
コミューン戦士がそのためにたたかい、死んでいった大業、社会主義の事業万歳!
(完)
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