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ジャック・デュクロ「パリ・コミューンの基本的特徴」 (9) 愛国的で国際主義的な性格

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(『世界政治資料』1971.7.10)

花壇2




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 少し説明が長くなることをお許し願いながら、わたしは一八七一年三月一八日革命のもつ愛国的で国際主義的な性格をざっとのべたいと思う。
 レーニンはパリ・コミューンについて、それが「すべての人類の勤労層、すべての被抑圧者、すべての苦しんでいる者の解放のためたたかった」といい、ついで、「それは社会革命の前衛として、プロレタリアートが苦しみ、またたたかっているいたるところで共感をかちえた」とのべている。
 こういったうえで、パリ・コミューンは一部は辱しめられた民族感情、支配階級の裏切りを大衆が意識したことから生まれたとはいえ、偏狭な民族主義のせまい枠のなかに閉じこもることがけっしてなかったことを確認しなければならない。おそらくひじょうに大胆な予感がしたのだろうが、コンミューン派のスローガンは「全世界共和国」というのにほかならなかった。
 パリに亡命していた多くの外国の革命家は、パリの革命家によって兄弟として扱われていた。
 ハンガリー人のレオ・フランケルは第一三区選出のコミューン代表に選ばれ、そのうえかれは労働担当代議員としてコミューン政府の閣僚であった。
 コミューン側でたたかった将軍のなかには、二人のポーランド革命家、ドンブロウスキーとウロブレウスキーがいる。世界最初の労働者政府として七二日間存続した間に、大きな役割を演じた婦人委員会の指導者には、ロシア人エリザベート・ディミトリエヴァがいた。イタリア人アミルカル・チプリアーニ、ドイツ人リヒアルト・ラインハルトはカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの友人であって、かれらもコミューンの戦士として活躍したし、ドイツでは社会主義者のベーベルとウィルヘルム・リープクネヒトがコミューンを擁護した。
 討論のさいいわれていたように、コミリューンは民族的利害をもっとも高度に発揮してはいたけれども、排外主義についてはいっさい反対していた。それはコミューンの愛国主義はその基本的性格が階級的なものだったからである。そこでカール・マルクスは「フランス社会のすべての健全な要素を真に代表するもの、したがって真の国民政府」としてコミューンに挨拶を送ることができたし、かれはまたコミューンが「同時に労働者政府でもあり、またこの点で労働解放の大胆な選手としての資格により、言葉の完全な意味でのインタナショナル」でもあったと強調している。
 パリ・コミューンが示した国際主義の模範を、われわれは忘れることはできないだろう。
(つづく)

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