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ジャック・デュクロ「パリ・コミューンの基本的特徴」 (4)多数の武装した労働者を結集した国民軍

ここでは、「ジャック・デュクロ「パリ・コミューンの基本的特徴」 (4)多数の武装した労働者を結集した国民軍」 に関する記事を紹介しています。


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(『世界政治資料』1971.7.10)

彫像





 こうして、労働者階級は第二帝政によって第一の敵と目された。このことは、この時代のフランス社会におこった変化を証明していた。
 カール・マルクス、フリードリヒ・エンゲルスとともに、社会主義は空想の段階から科学の段階に移った。マルクス主義以前の社会主義は資本主義的生産とその結果を批判したが、それを説明することはできなかった。だから、その理論的打倒にとりかかることができず、悪いものとして拒否するだけだった。
 資本主義生産体制を根本的に攻撃するためには、人類の発展のなかでその歴史的位置づけをおこない、一定の歴史的時代におけるその必要性、それに代わる他の生産体制、社会主義体制の必要を強調しなければならない。
 もちろん、フランスの労働者階級はまだ全体として、この複雑な問題をつかむことはできなかった。しかし、空想的な特徴をもってはいたが、それでも社会主義の願望は労働者のなかでは現実のものになっていた。
 そのうえ、労働者階級はまだ首尾一貫した政治組織も、大衆的労働組合組織も持っていなかった。
 しかし、パリには多数の武装した労働者を結集した大きな大衆組織があった。それは国民軍で、その諸大隊は、ティエールの挑発がおこなわれる前の三月に、連盟をつくっていた。
 当時存在した革命勢力についていえば、その主要なものはブランキ派、ネオ・ジャコバン派、第一インタナショナルの支部にかぎられていた。
 ブランキ派の場合は、一八七〇年一〇月三一日、武力政変をくわだてた。
 このくわだては失敗した。一八七一年一月二二日、活動的な少数派が同じ方法で新しい行動にでたが、一〇月三一日のときと同様の結果に終わった。
 大部分が一八四八年の革命に参加したネオ・ジャコバン派は、一八世紀末のフランス大革命の伝統の影響が強く、大部分が小ブルジョアジー出身であるだけに社会問題だけを比較的重要視していた。
 第二帝政にきびしく追及された第一インタナショナルの組織は、活動を再開していた。そして労働者階級の重要部分に確実な影響力をもっていた。
 第一インタナショナルの活動家たちが国民軍中央委員会で少数だったのは、インタナショナル派が国民軍のなかでたたかい、責任ある部署につくようにというウージェーヌ・ヴァルランの提案がとり上げられなかったからである。
 また第一インタナショナルの活動家はコミューンの議員として少数派であった。しかし、その影響はコミューンに社会主義的性格――それはコミューンの決定にあらわれている──を与えるうえで、決定的なものだった。
 所有主が首都から逃亡した企業を接収し、労働者の協同組合の手でその活動を再開させる決定は、議論の余地なく、社会主義の特徴をおびていた。
(つづく)
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