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この観点で、フランス共産党副書記長ジョルジュ・マルシェは、一九七〇年二月四日にこうのべた。「……われわれの民族的責任とわれわれの国際的責任とのあいだにはなんら矛盾はない。まったくその反対である! 各党の主権の原則とプロレタリア国際主義の原則が結びついているのとまったく同様に、これら二つの責任は切りはなしがたく結びついている」。
コミューン直後の一八七一年七月四日、マルクスは『ザ・ワールド』紙のインタビューでみずからこの原理を略述した。「協会は政治運動の形態を命令しません。それは運動の目的についての誓約を求めるだけなのです。……世界のそれぞれの部分で問題のなんらかの特殊な側面が現われ、そしてそこにおける労働者は自分たち自身の方法でそれの検討にとりくむのです。労働者間の結合は、ニューカスルとバルセロナ、ロンドンとベルリンとでは、細かい点までまったく同一ではありえません。……」(全集⑰、六一〇〜六一一㌻)。マルクスはまたこのインタビューで、各国の社会主義への移行形態が多様であることについて語っているが、このテーマは一八七二年のアムステルダム集会の演説でも取上げられている。
もちろん、闘争の諸条件の多様性が労働運動の各国の部隊をすべて必要とする行動の統一に結集することをいかなる意味でも弱めたり、妨げたりするものでないことは変わりがない。パリ・コミューンが模範を示した国際的友好は、みずからの共同の努力によって現代の基本的問題、つまり世界の社会主義的変革を望むすべての者にとっては、当然のことである。
親愛な友人と同志の諸君、この討論会の報告者はコミューンを過去の歴史としては論じないだろう。かれらはつねに一九三六年に、われわれの友人ジャン・リシャール・ブロックがいったように考えている。「わたしの考えでは、コミューンの厳密な解釈が、社会主義的教育と革命的文化の試金石をなしている」。コミューンは過去の妖怪であるどころか、マルクスの表現をかりれば、「世界を一周した」と、われわれは確信する。イギリスから日本にいたるまですべての資本主義国自体で、労働運動は強大になっている。三月一八日革命がおこった国自体でも、三年前の事件で大衆の戦闘性のすばらしい実例が示された。
そしてコミューンの偉大な詩人アルチュール・ランボーが一八七一年に、社会主義的創造、新しい都市、実現可能な、未来のいぶきが感じられる都市、「新しい労働の誕生」を「暴君と悪魔の逃走」によってたたえる都市の建設についてのべたことを、われわれは今日ふたたびのべる理由を幾千倍も、もっているのである。
向こうの、広い仕事場で
エスペリイドの陽をうけて
もう大工らは
肌着一枚で働いている
(『地獄の季節』から)
(完)
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