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一九一七年には、きわめて後進的といわれるロシアの諸条件のもとでは、社会主義革命、労働者階級による政治権力の獲得は不可能であると、一部の者はいった。マルクスが矛盾の蓄積にかんする分析、ロシアにおける現実的な力関係の研究を鋭くおこなっているきわめて明白な文章が忘れられていたのである。その一例が、パリ・コミューンを記念して開催された一八八一年三月二一日のスラブ人集会議長にあてたメッセージであって、このなかでマルクスとエンゲルスはこういっている。「『秩序』の擁護者によって組織された残虐な殺戮にパリ・コミューンが屈服したとき、勝利者たちは、おそらくは長々しい、激烈な闘争をへてであろうと、結局は確実にロシアのコミューンの樹立にみちびくべき一事件が、それから一〇年もたたないうちに、はるかなペテルスブルグに起こるなどということは、夢にも考えませんでした」。二〇世紀のはじめ以来、ロシアはマルクス主義的思想の中心になり、この国では、革命的理論なしには、また具体的経験にもとづき、創造的精神によって適用される革命的理論なしには、革命運動はありえないという考え方がもっともよく根を張ったことを、人びとは忘れていたのだ。ロシアでは、マルクス主義は依然として行動の指針であった。これに反し他所では、マルクス主義はすっかり凝結した一種の規範となっていたのだ。
こんどは、車は完全に回転した。事実は頑固であるので、またたとえばソ連共産党第二四回大会が、幸福、豊かさ、文化、民主主義の道にそっての社会主義社会の前進を完全に浮きぼりにしたので、一九一七年に主張されたように、社会主義革命はヨーロッパの東部では不可能だとかいうことはもはやできない。現在では人はむしろ反対のことをいっている。つまり労働者権力というマルクス主義的思想は、「ロシア的」、さらには「アジア的」考え方であって、西ヨーロッパの条件には絶対に適応できないと論じている。
マルクス主義思想の拡がり、またそのアジア、アフリカ、ラテンアメリカへの影響の拡大におびえている第三世界諸国の反動はどうかといえば、かれらは、マルクス主義理論はヨーロッパとロシアにだけは、さらにやかましくいえばフランス、ドイツ、イギリスにだけは通用するが、世界の他の地域には到底だめだということを何とか信じこませようと努力している。
事実、社会主義革命の理論であるマルクス主義は世界的理論として現われており、それだからこそコミューンはすでに、その旗は全世界共和国の旗であるといえる理由をもっていたのである。真実は、世界的拡がりをもつ理論であるマルクス主義は、民族的特性を最大限に考慮しないでは、各国に適用できない、ということである。それぞれの国の情勢の具体的特殊性の分析をぬきにしては、労働運動の政策の科学的理由づけはないし、またありえないのである。
この結果として、プロレタリアートの国際連帯は、各国の枠で考えられているそれぞれの労働運動の自主独立および主権と両立するのである。
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