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ジョルジュ・コニョ「パリ・コミューンの歴史的地位」 11(労働者階級の主導権を予告)

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(『世界政治資料』1971.7.10)

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 実際に、ヴァルラン、フランケル、パステッカ、ブノア・マロンのような、もっとも聡明な労働者の指導者たちは、組織問題、行動にとって不可欠な組織という道具の問題について、頭を悩ましていたのである。
 党の創立は、一八七一年九月の第一インタナショナル・ロンドン会議および一八七二年のハーグ大会で、いずれも中心的テーマをなしたことは知られている。コミューンの経験にもとづいて、「労働者階級が有産階級のこの集合権力に対抗して階級として行動できるのは、有産階級によってつくられたすべての旧来の党から区別され、それに対立する政党に自分自身を組織する場合だけである」(全集⑰、三九五㌻)と規定された。
 コミューンの二一周年にさいし、『ル・ソシアリスト』は、一八九二年三月二六日、フランス勤労者へあてたつぎのようなエンゲルスの挨拶を発表した。「忘れられたと考えられているコミューン、永遠に破壊されたと思われているインタナショナル──これらはわれわれのなかにまったく生きいきと、一八七一年のときより二〇倍もつよくなって、存在している」。
 すべての国の労働運動を前進させるうえで、コミューンが与えた大きな刺激、コミューンが示した歴史的創意の偉大な模範、社会における労働者階級の主導権を予告する雷鳴は、決定的なものであった。コミューン戦士の血はむだに流されたのではなかった。コミューンは、労働運動にとって停滞の要素ではなかった。コミューンの格言、それは歴史家ニコライ・モルチャノフが実にうまくいいあてたように、ゲーテの格言「死せよ、成れよ」(西東詩篇『歌人の書』から)である。
 しかし、権力をかちとり、これを六週間にわたって守ったパリ労働者の輝かしい行動が、労働者による第二の権力奪取によって再現され、かぎりなく拡大されるまでには、四六年をへなければならなかった。こうしてモーリス・トレーズは『人民の子』のなかで、「ロシア革命は、一八七一年の英雄的開拓者によって素描された事業をとりあげ、これを継承した」と書いた。今度は、プロレタリアートの支配はもはや、たった一つの都市で七二日間しかもたなかったというのではなくて、世界の六分の一で樹立され、今日では社会主義国家体制の樹立、民族解放運動の躍進と解放された多数国家の非資本主義的発展への移行、またとくに労働者・民主運動の発展に直面した資本主義の全般的危機といわれる、およそはかりしれないかずかずの影響を及ぼしている。
 われわれは世界史がおどろくほど早く進展するのをまのあたりに見ている。今日からみると予言のように思われるが、ルイーズ・ミシェルがその著『ラ・コミューン』の一八九六年の序文に書きいれた大胆な言葉をあげよう。「ちがっているのは、当時(一八七一年)めざめたのはとりわけフランスであったが、今日では世界中だということである」。
 コミューンの一〇〇周年の今日、世界の様相はとらえがたく動いており、社会主義は力づよく存在している。幾億という人びとは、コミューンが未踏の道を発見してはじめて足をふみいれたことは、たしかに困難ではあったが、しかしまたどれほどの喜びと、どれほどの成果をもたらしたかを、みずからの経験で学びとっている。社会主義は全世界で勝利するだろう。
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