7(共和制と社会主義の道)
コミューンの多くの戦士は、ジャコバン主義を頼りにした。かれらは間違っていたのだろうか。われわれはかれらの間違いは批判的な精神なしに、それを受け入れたことにあったと考えている。
その後レーニンは、プロレタリア革命家にたいし、かれらが二〇世紀のジャコバン党員とよばれなければならないのは──たしかにそうなのだ──どんな意味かを教えた。二〇世紀のジャコバン党員となることは、ジャコバン主義の時代おくれになった社会的内容を受け入れることではなく、その革命的方法、炎を守ることである。
ジャコバン主義の問題は、コミューン戦士の共和主義の問題と結びついている。おそらくここに出席しておられる友人の一部の方は、この討論会がコミューンが社会主義の道を模索したことに重点をおくあまり、ヴェルサイユ議会が王党派で多数をしめられていたにもかかわらず、フランスにおける共和制度を固めるためにコミューン戦士が英雄的なイニシャチブを発揮したという偉大な歴史的成果を軽視するのではないかと恐れておられると思う。実際、会議の主催者は、コミューンが共和制度をめざす運動であったことを忘れてはならない。会議の小委員会の一つでは、共和制樹立にさいしてのコミューン側の反響をまさに検討することにあてるべきだと考えたほどなのである。
われわれは、「古い王政主義者」を自称したティエールを執行府の長とした九月四日以後のまったく名目的な共和制と、ついでコミューンが王政主義者を再教育したので、かれらが必然的に共和主義者に転向せざるをえなくなったこととのこの大きなちがいを無視してはいない。したがってわれわれは、コミューンが共和制を救ったことを忘れてはいないが、同時にまたその深い本質において、コミューンは既存の社会体制にたいする抗議であり、これを社会主義制度でおきかえようとする試みであったと考えている。
コミューンは共和制を意味しているのだという人たちにたいして、われわれはそれがたしかに間違いだといわないが、しかしコミューンはまだなにかもっと重要な、もっと本質的なもの、つまり現代世界の偉大な理想である社会主義をさし示しているのだということをつけ加えておこう。われわれはジュール・ヴァレスとともにつぎの言葉をもう一度くりかえそう。「共和主義者であることがすべてでもないし、ジャコバン派だということで十分なのでもない。まず社会主義であること、そうでなければならないのだ」(『クリ・デュ・プープル』、一八七一年二月二五日)。
残念ながらわれわれの討論会は関心をひくすべての問題、一八七一年の偉大な経験から引き出されるすべての教訓を取り上げることはできないだろう。
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