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ジョルジュ・コニョ 「パリ・コミューンの歴史的地位」 5(文化を広範に普及することを心がけた)

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5


(『世界政治資料』1971.7.10)

彫像



5(文化を広範に普及することを心がけた)

 この討論会では、コミューンが教育と文化生活にどれほどよい影をおよぼしたか、芸術的価値あるものをどれほど大切にしたか、文化人をどれほど重視したかについて、特別報告がおこなわれることになっている。きわめて注目すべきことは、コミューンの労働者が知識人にたいしてなんら敵意を示さなかったばかりか、文化を維持し、大衆のあいだに文化を広範に普及することを心がけたことであって、これは今日ニヒリスト的なえせ革命家が、いわゆるブルジョア文化に接することはすべて救いがたい後退であると称しているのとはちがっている。
 コミューンの精神で民主主義を完全なものにすることは、たしかに今日においては、大独占の金融封建制を攻撃し、独占の諸産業を国有化し、国有部門の民主的運営をおこなうことである。それは人間による人間の搾取のいっさいの廃止に通ずる道――それはコミューンの道でもあった――の第一歩として、この点での重要な一つ一つの成果を考えて、勤労者の条件を断固として改善することである。それは、コミューンが試みたと同じように、労働者階級と同盟しうるすべての者の要求を擁護することである。そしてそれは同時に、第一次世界大戦が終わって以来つねに約束されながら実施されていない民主的教育改革を今度こそは実現することである。それは、芸術やすべての文化活動を人民に近づけて、これらを躍進させ生きいきさせることである。

 コミューンの期間中、プロレタリア国際主義の思想と実践が果たした偉大な役割について、ここでもう一つの報告がおこなわれることになっている。これにかんしても、コミューンはまったく近代的で、きわめてわれわれに近いように思われる。今日のマルクス・レーニン主義の活動家と同様に、コミューンの戦士は、プロレタリア国際主義と人民的愛国主義を切りはなさなかった。
 ビスマルクにそそのかされて大ブルジョアジーが民族を裏切り、祖国が試練にたたされた時に、勤労者はロッセルのような愛国的将校をかれらの事業に参加させて、フランスの利益を断固として守りつづけたことを、コミューンは伝えている。このような状況は三〇年前、レジスタンスの闘争の時にふたたびあらわれたが、この闘争の時、一カトリック作家は「大衆のなかでひとり労働者階級だけがけがされたフランスに忠実でありつづけるだろう」という、疑いをいれない真実を、みずから記すことになった。
 一九三五年以来、労働者階級の熱烈で私心のない愛国主義は、コミューンの赤旗が大衆デモのなかで一七九二年と九三年の三色旗といっしょになった時、花を開き、はっきりと証明された。この伝統はずっと以前からあった。一世紀まえにフランスでは、労働者階級の最良の人びとは、階級の擁護か民族の利益かというジレンマが、いつわりのジレンマであることを知っていた。
(つづく)


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