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ジョルジュ・コニョ パリ・コミューンの歴史的地位 2 (フランスの歴史におけるもっとも偉大な日)

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(『世界政治資料』1971.7.10)

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2 (フランスの歴史におけるもっとも偉大な日)
 モーリス・トレーズ研究所の戦闘的所員にとっては、コミューンはなんといっても、史上最初のプロレタリア革命であり、労働者の政府を樹立した最初の革命である。この考え方の根拠をざっとのベさせてもらいたい。
 さる三月一七日モスクワでのコミューン記念の夕のさいボリス・ポノマリョフが語ったように、歴史には光り輝く峰というものがあり、この峰は人類の隊商にまた新しい視界をひらくのである。十月の一〇日間が世界を揺り動かした時には、もっとも雄大な峰が登頂されたのである。しかし、一八七一年の光栄ある一○週間もまた、輝かしい峰の征服を示すものであった。
 一八七一年三月一八日は、一七八九年七月一四日とともに、フランスの歴史におけるもっとも偉大な日である。
 歴史に占めるコミューン派の地位はかれら自身によって明らかにされている。かれらの公式文書、それぞれの回想記を読めば、かれらがもはや既成の社会を望まずに別の社会を欲したこと、古い社会を「奴隷制の最後の形態」と適切に称して、この社会の狂った機構と価値尺度を拒否したことを十分たしかめられるからである。この思想に導かれて、コミューン戦士は――わずか七二日間、たった一つの都市において、それも模索しながら自らの行動についてはっきりとした意識ももたずにではあったが、――新しい国家機構をうちたてた。これは、かれらの倒した古い官僚的警察国家機構の廃墟のうえにつくられたものである。
 人びとはヨーロッパの真只中に、文明の首都といわれたこの都市に、まさしく労働者の国家、新しい型の国家が出現したのを認めたし、マルクスとエンゲルスはこのなかに、理論ですでに示されていたプロレタリアートのディクタトゥーラ(政治的支配)を認めた。『共産党宣言』「プレタロリアートの政治的支配」について論じた。また一八五〇年三月、マルクスは『フランスにおける階級闘争』のなかで「プロレタリアートの階級的ディクタトゥーラ」というもっとも適確な言葉をはじめて使った。しかし、ブルジョア国家機構の廃墟のうえにこの労働者国家をはじめて実現したのは、ほかならぬパリ・コミューンである。
 行政の組織、軍隊と警察の制度、立法の内容、公共権力の考え方、これらすべてが根本的にブルジョア的秩序とは異なり、人民の利益、つまり勤労人民とその同盟者である知識人、小売り商店主、職人の利益に奉仕するという根本的に新しい任務に適応したものであったし、またそうならなければならなかった。「労働者階級が社会的主動性を発揮する能力をもった唯一の階級であることが、富んだ資本家だけを除いて、パリの中間階級の大多数──小店主、手工業者、商人──によってさえ、公然と承認された最初の革命であった」(『フランスにおける内乱』、全集⑰、三二〇㌻)。
 国家の先頭にたったのは、ヴァルランとかフランケルといった民衆のなかの人びとである。
 ビガール広場のバリケードで捕虜になった労働者レヴェークにたいし、ヴェルサイユ軍の将校は「お前はだれだ」とたずねた。「石工労働者で、国民軍中央委員会委員だ」。「石工だと、こいつがフランスを支配しようっていうのか!」と将校は叫んで、その瞬間にレヴェークは射ち殺された。
(つづく)

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