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パリ・コミューンの歴史的地位 1(はじめに)

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(『世界政治資料』1971.7.10)

公園





パリ・コミューンの歴史的地位

 モーリス・トレーズ研究所長   ジョルジュ・コニョ

1(はじめに)
みなさん
親愛な友人、同志諸君、
 われわれはこれから四日間、パリ・コミューンの主要な諸側面について分析をおこなおうとしている。この研究には、あらゆる大陸の四〇ヵ国から来た学者や労働者の活動家が参加することになろう。わたしはこれらの方がたに心からの熱烈な歓迎の言葉をのべるとともに、ソビエトをはじめとする社会主義諸国の代表に、とくにわれわれの友情と連帯を表明する。
 若干のコミューン生残りの戦士は、その晩年をソビエトで送った。コミューン戦士の家がモスクワのオブク街につくられていたのである。血の週間のあいだオベルカンプ街のバリケードを守ったコミューン戦士の最後の人、アドリアン・ルジューヌは、一九四二年にノヴォシビルスクで死んだ。わたしのように、光栄にもかれをその晩年に訪れることができた者はみな、コミューンのたいまつを継承した者としてソビエト・プロレタリアートが果たした歴史的役割について、かれがどんなにはっきり、かつしっかりとした考えをもっていたかを知っている。
 他国から来られた賓客とならんで、さまざまな意見をもつフランスの歴史家や政治家が来られている。わたしはモーリス・トレーズ研究所の運営委員会を代表して、これらの方がたに心からの挨拶をのべるとともに、われわれのこの企画によせられようとしている豊かな貢献に、あらかじめお礼を申しあげたい。
 また、この由緒ある宮殿で歓待することをわれわれに許された上院事務局ならびにその議長ポエール氏に、会議からの感謝を表明させていただきたい。
 同じように、貴重な協力をおしまなかった上院の技術職員に感謝をのべたい。
 われわれの会議の討論は、もちろん完全に自由である。この会議は公然と意見をつき合わせるところであり、この会議の主催者は閉鎖された場所での知的交流がみな弊害をもっていることを十分意識している。われわれのこれまでの同種の討論会に参加した者はすでに、若干の問題について相当くいちがった意見がのベられたことを知っており、これらの者にとって教条主義に反対するわれわれの態度は少しも新しいものではない。
 マルクス主義者として、科学的社会主義の立場に立つ者として、われわれは革命的過程とは真の確実な認識を意味していると考える。このような政治的、理論的認識を欠いていたことが、コミューンにとっては致命的であったとわれわれは思う。ところで、このような認識に到達するには、必然的に批判的な検証、討論、反論を経なければならない。意見をたたかわせること、思想的討論は有益である。われわれの会議では独白の羅列ではなく、解釈の違いや意見の衝突のなかから科学的真実が生まれることを願っている。
 つまりわれわれはだれにたいしても、ここで思想的な武装解除をすることも、ましてや遠慮気がねをすることも、要求してはいない。反対に、報告者が問題を提起するばあい、研究されていて可能であれば解決策まで提案しても、またこうした解決策がマルクス・レーニン主義の考え方に一致していても、だれも不思議に思わないだろう。
(つづく)


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