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ネルーダ回想録抄 10.アジェンデ(下)

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下


(『文化評論』1974年9月号)

彫像3人



 アジェンデはけっして大演説家ではなかった。政治家としてまた行政官として、かれは採用する政策をすべて討議に付した。かれはその性質と主義からして反独裁者であり、骨の髄まで民主主義者であった。かれが統治をひきうけた国はもはや、バルマセーダの時代のような、未開で野蛮な国ではなかった。そこにはすでに、おのれの力を自覚し、何をなすべきかをわきまえた、たくましい労働者階級が成長していた。アジェンデは集団指導を採用した。かれは庶民の出身ではなかったが、この男は人民の闘争によって鼓舞された。人民は、搾取者たちのつくりだす不景気と腐敗に反対してたたかっていたのだ。こうしてアジェンデは短い期間で、バルマセーダよりもはるかに多くのことを行なった。アジェンデのおこなった業績は、チリの全歴史がはたした業績を越えている。銅の国有化はそれだけでも巨大な業績であるが、それに加えて大企業にたいする打撃、真剣な農地改革、その他の事業が、徹底した集団指導の政府によって遂行されたのである。
 全国民にとって不滅の意義をもつ、このアジェンデの政策遂行は、しかし、わが解放事業の敵どもを怒り狂わせたのである。大統領官邸への爆撃はこの危機の悲劇的な象徴である。それは無防備都市にたいするナチの無差別爆撃をおもいださせる。いま、同様の犯罪がチリでおこなわれた。二世紀以来、わが国の市民生活の中心であった大統領宮殿が、チリ空軍によって爆撃されたのである。
 わたしがこれらの走り書きのノートをわが『回想録』のなかに書きこんだのは、わが偉大な友人であり同志であるアジェンデ大統領を死へとかりたてた、あの信じがたい事件が起きてから三日後である。アジェンデの暗殺について、かれらは口を封じてもみ消そうとした。かれはひそかに葬られた。ただひとり未亡人だけが、この不滅の遺骸をとむらうことを許された。犯罪者たちの陳述によれば、かれらがアジェンデを発見したときにはすでに死んでおり、すべての状況から判断して自殺であった、という。外国の新聞もこれをそのまま報道したが、この陳述はまったくまちがっている。空軍による爆撃のあと、戦車隊が作戦行動をおこし、数人の兵隊が、ただひとりの人間、チリ共和国大統領サルバドル・アジェンデを「勇敢に」攻撃した。アジェンデはその偉大な良心にささえられて、炎と硝煙につつまれた執務室で兵隊どもを待っていた。
 暗殺者どもはこの絶好の機会を見のがすはずはなかった。自動小銃がかれを撃ちたおしたことはまちがいない。むろん、かれは断じて自分の職席を放棄しなかったであろう。
 それから大統領は急いで葬られた。この世の悲しみを一身にあつめたひとりの女が、最後の住居まで──墓地までかれを見送った。彼女が野べ送りをしたこのすばらしい男の遺体は、あの一度ならずチリを裏切った軍人どもの銃弾丸によって、蜂の巣のように穴だらけにされていた……

(フランス語版『新時代』誌(ソ連)一九七四年六月、22、23号による。翻訳にあたっては英語版も参照した。冒頭の前書きも『新時代』誌の抄訳に付されたものである。―訳者)
(おおしま ひろみつ・詩人)

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