スペインの文学的遺産を発見したことによって、ネルーダはスペインの心に触れ、自分自身を豊かにする。詩的技法をいっそうたしかなものにし、おのれの詩的地平線をひろげ、表現における厳密さへの配慮をまなびとる。その点で、フランシスコ・デ・ケベードとの出会いは決定的であった。かれはケベードを「あらゆる時代をとおして、もっとも機智にあふれた偉大な詩人」といって、ほめたたえている。スペイン魂をもとめて旅ゆくネルーダにとって、ケベードは、案内者の役割をも演ずることになる。
ケベード――このスペイン黄金世紀の呪われた詩人は、いうべきことはすべていって、既成の秩序をおびやかし、時の政府の敵となり、しかし、あらゆるみじめな人たちの友となった。結局かれは牢獄につながれることになる。役人はかれを黙らせようとしたが、かれは依然として、機智と辛辣な風刺にみちた、すばらしい文体で語りつづけたのであった。
ネルーダは、ケベードをとおしてスペインに深く根をおろした物理的な死を認識することになる。『死のソネット集』の詩人ケベードほどに、死から多くの仮面をはぎとり、赤裸々な死そのものに面と向かったものはなかった。ネルーダはかれにみちびかれて、肉体が死んで塵《ちり》となった、その塵の果てにまで、たどって行く。だが、たとえある日、肉体や血が塵となるにしても、それは「愛にみちた塵」となるだろう。「おのれの死すべき構造そのものに依拠しながら、存在と物の最後の破滅にうち勝つのは、悪魔でもプロメテでもなく、また神の裁きにもとづいて罪人を殺す天使長でもなく、じつに人間という物体なのである。」死のソネットをとおしてケベードが語っているのは、愛による復活であり、明るい生物学的な教えであり、何より生きることへの教訓なのである。
ネルーダはのちに、『マチュ・ピチュの頂き』と『百の愛のソネット』のなかで、死についての自分自身の考察と思索とファンタジーを追求し、表現することになる。
また、最後の詩集『ニクソンサイドのすすめとチリ革命の賛歌』(一九七三年)のなかで、ネルーダは二度までも、ケベードの名と詩業を呼びおこし、思い出しているのである。
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