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大いなる歌──6.きこりよ めざめよ(下) 平和の歌

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きこり


(『愛と革命の詩人ネルーダ』)

木





 『きこりよ めざめよ』の最後の章は、平和の歌によってしめくくられている。戦争によってぼろ儲けを企む、ひとにぎりの死の商人とは逆に、働くすべての人民は、平和をこころから願っている。詩人は「わたしの信条は 平和と希望なのだ」とも語っている。

 日ごとに訪れる 夕ぐれに 平和あれ
 橋のうえに 平和あれ 洒に 平和あれ
 わたしの使う言葉に 平和あれ
 そしてわたしの胸にのぼってきて
 土の匂《にお》いと愛にみちた 古いむかしの歌を
 くりひろげてくれる 言葉に 平和あれ
 パンの匂いで眼がさめる
 朝がたの都会《まち》に 平和あれ
 ……
 スペイン・ゲリラの
 ひき裂かれた心臓に 平和あれ
 そこでは ハートの刺繍《ししゅう》のある座布団が
 いちばん なつかしい
 ワイオミングの小さな博物館に 平和あれ
 パン屋と かれの愛に 平和あれ
 小麦粉のうえに 平和あれ
 やがて芽を出してくる麦に 平和あれ
 茂みを探す 恋びとのうえに 平和あれ
 生きとし生けるものに 平和あれ
 すべての大地と 水のうえに 平和あれ

 さらにこの詩の最後を、ネルーダは祖国チリへの祖国愛と、人間味にあふれた人民への友愛とによって結んでいる。それは、この詩をつらぬいているけだかい国際連帯の精神ときりはなしがたく結びついているからである。

 わが祖国では 坑夫たちが牢獄にぶちこまれ
 軍人どもが 裁判官をあごで使っている
 だがわたしは この寒くて小さい
 わが祖国を 根っこまで愛しているのだ
 たとえ 千回 死のうとも
 わたしは わが国で死にたい
 たとえ 千回 うまれようとも
 わたしは わが国に生まれたい
 あの未開のアラウコ族のそばに
 南極の風が 猛り狂うところ
 教会の鐘楼が 新しく建てられたばかりの処に
 ……
 わたしのねがいは
 坑夫も 娘さんも
 弁護士も 舟乗りも
 人形作りも みんな
 わたしといっしょに来てくれることだ
 われわれはみんなで映画館にはいろう
 そして映画がはねたら
 赤い葡萄酒を 飲もうではないか

 わたしは何も問題を解決しにきたのではない
 わたしはここに 歌うために きたのだ
 きみたちといっしょに歌うために──

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