佐木秋夫先生への別れのことば
佐木先生 こんなに早く
お別れのことばを述べなければならないとは
こんなに悲しいことはありません
先生はわたしにとって
すばらしい先輩であり同志であり
そしてすばらしい呑み友だちでした
どんなに多くの楽しい時間をともにし
どんなに多くの教えと励ましをうけたことでしょう
しかしもういっしょに
吉祥寺あたりを呑んであるくこともできない
ちょっと右肩を怒らせて ステッキをついて
ひょうひょうと歩く あのベレー帽姿に
ひょっこり街通りで 出会うこともできない
井の頭公園入口のバス停留所で
大きなケヤキの樹が新緑を風にそよがせたり
黄色くなった葉っぱを
木枯らしに舞い散らせたりする その下で
もういっしょにバスを待つこともできない
先生は大きな鳥のように
酒場のとまり木にとまって
天皇制や国家神道について
そのでっちあげたまやかしについて
その神秘めかした虚構について
論破し あばき出して飽きませんでした
また自民党の閣僚どもが大挙して
靖国神社に公然と参拝した折りなど
ふたたび英霊をでっちあげる
その黒い野望の本質を
先生はみごとにあばいてみせました
その明快な分析と若若しいモダンな文章は
いつもわたしを驚嘆させたものです
たとえば 敗戦後の宗教的状況を先生は
まるで詩のような言葉で描いてもみせました
「原子雲がタカマガハラを吹き抜けて
焦土の上に八百万の神をいちどにぶちまけた・・・」
そしてまた先生は
神を信じる者と信じない者との共同について
とりわけ核廃絶・平和にむけての共同について
こころひろい提言をもって呼びかけ
むろんみずからもそれを実践しました
その提言にはげまされて
わたしもそういう詩を書いたりもしました
先生は青年時代にみいだした
科学的無神論の道 共産主義の道を
ひとすじに進みつづけました
敵は先生をひっ捕えてカシの棒でなぐりつけ
牢獄にぶちこみました
しかし 先生を人民解放の道から
ひき離すことはできなかったのです
そして晩年のイデオロギーの高みに輝いていた
あの精神の純粋さ 無邪気さ 自由さほどに
わたしを魅了したものはありません
わたしはそこに見る思いでした
学問と実践をむすびつけることのできた
ひとりの共産主義的人間の模範を
その模範にはげまされて
わたしはこれからもたたかいつづけ
生きてゆくでしょう
先生はもう遠いむこうの方へ行ってしまいました
そのうちわたしもそちらへ行きますから
そうしたらそちらでまた一杯やりましょう
楽しみに待っていてください
では 佐木先生 さようなら
(『文化評論』一九八八年八月)
佐木秋夫先生とベレー帽
博光のベレー帽に関しては、故佐木秋夫先生(宗教学者)の娘さんから電話でうかがったことがあります。「二人ともベレー帽が好きで、いいベレー帽が自慢だった。佐木先生のはフランス製、博光さんのはスペイン製だったが、スペイン製のほうが良かった」
博光も佐木先生について語っています。
「吉祥寺の東急辺へ 狐久保の裏あたりに住んでいた佐木(さき)さんという宗教学者と飲みに行ったよ 彼はわたしより三つくらい上でね 八十三くらいの時に死んじゃったよ 東大だよ でも ちっとも偉ぶらなくて 飲みに行ったところの人たちにも慕われていたよ しかも東京生まれでね 何というか エレガン(elegant)なところがあったよ」(尾池和子『博光語録』)
佐木先生 こんなに早く
お別れのことばを述べなければならないとは
こんなに悲しいことはありません
先生はわたしにとって
すばらしい先輩であり同志であり
そしてすばらしい呑み友だちでした
どんなに多くの楽しい時間をともにし
どんなに多くの教えと励ましをうけたことでしょう
しかしもういっしょに
吉祥寺あたりを呑んであるくこともできない
ちょっと右肩を怒らせて ステッキをついて
ひょうひょうと歩く あのベレー帽姿に
ひょっこり街通りで 出会うこともできない
井の頭公園入口のバス停留所で
大きなケヤキの樹が新緑を風にそよがせたり
黄色くなった葉っぱを
木枯らしに舞い散らせたりする その下で
もういっしょにバスを待つこともできない
先生は大きな鳥のように
酒場のとまり木にとまって
天皇制や国家神道について
そのでっちあげたまやかしについて
その神秘めかした虚構について
論破し あばき出して飽きませんでした
また自民党の閣僚どもが大挙して
靖国神社に公然と参拝した折りなど
ふたたび英霊をでっちあげる
その黒い野望の本質を
先生はみごとにあばいてみせました
その明快な分析と若若しいモダンな文章は
いつもわたしを驚嘆させたものです
たとえば 敗戦後の宗教的状況を先生は
まるで詩のような言葉で描いてもみせました
「原子雲がタカマガハラを吹き抜けて
焦土の上に八百万の神をいちどにぶちまけた・・・」
そしてまた先生は
神を信じる者と信じない者との共同について
とりわけ核廃絶・平和にむけての共同について
こころひろい提言をもって呼びかけ
むろんみずからもそれを実践しました
その提言にはげまされて
わたしもそういう詩を書いたりもしました
先生は青年時代にみいだした
科学的無神論の道 共産主義の道を
ひとすじに進みつづけました
敵は先生をひっ捕えてカシの棒でなぐりつけ
牢獄にぶちこみました
しかし 先生を人民解放の道から
ひき離すことはできなかったのです
そして晩年のイデオロギーの高みに輝いていた
あの精神の純粋さ 無邪気さ 自由さほどに
わたしを魅了したものはありません
わたしはそこに見る思いでした
学問と実践をむすびつけることのできた
ひとりの共産主義的人間の模範を
その模範にはげまされて
わたしはこれからもたたかいつづけ
生きてゆくでしょう
先生はもう遠いむこうの方へ行ってしまいました
そのうちわたしもそちらへ行きますから
そうしたらそちらでまた一杯やりましょう
楽しみに待っていてください
では 佐木先生 さようなら
(『文化評論』一九八八年八月)
佐木秋夫先生とベレー帽
博光のベレー帽に関しては、故佐木秋夫先生(宗教学者)の娘さんから電話でうかがったことがあります。「二人ともベレー帽が好きで、いいベレー帽が自慢だった。佐木先生のはフランス製、博光さんのはスペイン製だったが、スペイン製のほうが良かった」
博光も佐木先生について語っています。
「吉祥寺の東急辺へ 狐久保の裏あたりに住んでいた佐木(さき)さんという宗教学者と飲みに行ったよ 彼はわたしより三つくらい上でね 八十三くらいの時に死んじゃったよ 東大だよ でも ちっとも偉ぶらなくて 飲みに行ったところの人たちにも慕われていたよ しかも東京生まれでね 何というか エレガン(elegant)なところがあったよ」(尾池和子『博光語録』)
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