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スターリングラードにささげる新しい愛の歌──『愛と革命の詩人ネルーダ』──戦争とファシズムに抗して

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(『愛と革命の詩人ネルーダ』──戦争とファシズムに抗して)

 
彫像





  メキシコ
              ─『スターリングラードにささげる愛の歌』

 スペイン人民戦線を支援したという理由で、ネルーダをスペインから召還したチリ政府は、一年後、人民戦線政府に席をゆずった。この新しい政府は、スペイン人民戦線の亡命者たちをチリに受け入ることを決定し、その任務をネルーダに託した。かれはパリに赴いて、数千にのぼるスペイン人をフランスから避難させる任務をはたす。ミュンヘン条約の裏切りによって、スペインはフランコにうりわたされ、スペイン人民戦線の亡命者たちは、フランスのダラディエ政府の強制収容所にとじこめられていたのである。
 一九三九年、第二次世界大戦が勃発すると、かれはチリに帰り、やがてメキシコ駐在総領事として赴任する。
 一九四二年、メキシコ駐在総領事であったネルーダは、スターリングラードにおけるソヴェト赤軍の英雄的な抵抗をうたい、ソヴェトにたいする情熱的な愛情と支持をうたいあげる。かれはスペイン戦争をとおして、ソヴェトだけが世界をファシズムから守るだろうことを、学びとっていたのである。ある朝、メキシコ市の壁という壁に、ひとつの詩が貼りめぐらされた。それは、スターリングラードをまもる英雄的な戦士たちにささげられた熱烈な讃歌であった。かれはまた、「戦うロシア救援委員会」の指導者のひとりとして、積極的なソヴェト支援活動をつづける。このころ、かれは書いている。
 「純粋詩におぼれて、はやくも老衰してしまった青二才たち、かれらはもっとも大切な人間の義務を忘れてしまった……いまたたかわぬものは臆病者なのだ。過去の遺物をふりかえることや、夢の迷宮を踏査することは、われわれの時代にふさわしいものではない。人間の生活と闘争とは、われわれの時代においてのみ、闘争のなかに芸術の源泉をみいだしうるというかつてない偉大さに到達したのである。偉大なソヴェト・レジスタンスの奇跡は、超自然的な現象ではなく、真に唯物論的な奇跡であり、精神的な、真に人間的な奇跡なのだ。」(北民彦訳)

 つぎに『スターリングラードにささげる新しい愛の歌』をかかげておこう。

かつてわたしは 流れる時や 水をうたい
死の蒼ざめはてた姿と その悲しみをうたった
わたしはまた 大空をうたい 林檎をうたった
だがいまわたしは歌うのだ スターリングラードを

かつて わたしの燃えあがる 愛のほのおを
恋びとは そのハンカチに そっと包んだ
いま わたしのこころは この大地のうえ
スターリングラードの 煙と光のなかにある

かつて 青い やつれはてたたそがれの
女の部屋着を 撫でていた わたしの手が
いま スターリングラードの太陽とともに
赤あかと明けてゆく あけぼのをつかむのだ

つながれた白鳥のように 若もののくせに
年よりじみた詩人も わたしのうたい叫ぶ
スターリングラードへの 愛の歌をきいたら
おのれの心の痛みを 覚えずにいなかろう

わたしは わたしの好きなところに心を向けよう
くたびれた原稿紙に あてがわれたインキとインキ壺で
ものを書いて めしを食おうとはおもわない
わたしは生まれてきたのだ スターリングラードを歌うために

わたしが歌うのは おまえの城壁をまもって
仆れていった おまえの偉大な死者たちのこと
死にゆくおまえをみて わたしの声は鳴りひびいた
鐘のように 風のように スターリングラードよ

……
おまえが 怒濤のような逆襲にうつった きょう
地に葬られたのは おまえの息子たちだけではない
おまえの額に手をかけた奴ばらも 死体をさらして
顫《ふる》えあがっているのだ スターリングラードよ

侵略者どもの手は ふみにじられ 潰《つい》えさり
兵士の眼は 見るかげもなく おしつぶされ
おまえの敷居をふみこえた やつばらの
その軍靴に血はあふれる「スターリングラードよ

……
砲弾にぶち抜かれ ぶち砕かれた 大地の胸を
おまえの死者たちは かがやく勲章で飾った
死んだものも生きているものも すべてのものが
立ちあがり 奮いたった スターリングラードよ

おまえは 喚きにしずむひとたちのこころを
奮いたたせる力づよい塩を ふたたびもたらし
おまえの血のなかから 赤い戦士たちが立ちあがり
ぞくぞくとあとにつづいた スターリングラードよ

長いこと 待ちこがれた花が 咲きでたように
希望のひかりが おまえの庭に かがやいた
いさおしを 剣と銃できざみこんだ 歴史の頁《ページ》
光はなつ文字 おお スターリングラードよ

……
スペインを焼きはらって 廃虚と化し
あの 柏の木と戦士たちの母なる祖国を
鎖でしばりあげた奴ばらも いまはおまえの
足もとで腐っているのだ スターリングラードよ

北の国 ノルウェーのあの白夜のなかで
野放しになった山犬の 吠え声をあげて
あの凍《い》てつく春を焼きころした やからも
いまは黙りこんでしまった スターリングラードで

おまえに栄光あれ 風も伝えるいさおしゆえに
うたい 歌われねばならぬ いさおしゆえに
栄光あれ おまえの母親たちと 息子たちと
孫たちのうえに おお スターリングラードよ

栄光あれ 霧のようなパルチザンのうえに
栄光あれ 政治委員のうえに 兵士のうえに
栄光あれ 月のかがやく おまえの空に
栄光あれ スターリングラードの 太陽に

激しく泡立つ怒りを わたしにとっておいてくれ
一挺《いっちょう》の銃を 鋤《すき》を わたしにとっておいてくれ
それを おまえの赤い麦の穂といっしょに
どうか わたしの墓のうえに おいてくれ
それは みんなによく知ってもらうためだ
おまえを愛しながら おれが死んだということを
わたしは おまえの砦《とりで》のうえで 戦わなかったが
おまえを讃えて残すのだ わたしのこの手榴弾を
スターリングラードにささげる この愛の歌を
                                (『地上の住みか』第三巻)

 ネルーダは、一九四〇年から四三年のあいだ、メキシコに滞在している。メキシコでは、革命下の新しい文化運動によって、文化遺産──とりわけマヤ文明の再発見がおしすすめられていた。美術界では、クレメンテ・オロスコ、ディエゴ・リベラ、ダビッド・アルファロ・シケイロスらなどによって、巨大な壁画が制作されていた。ネルーダはこれらの大画家たちと交友をむすんだ。かれらの壁画にみられる構成とスケールの巨大さは、のちに、ネルーダの『大いなる歌』のスケールの大きさに影響をあたえる。
 一九四三年の秋、チリへの帰国の途中、グアテマラを訪れて、ノーベル文学賞受賞作家ミゲル・アストリアスと友情をむすぶ。一〇月には、ペルーのクスコを訪れ、さらに足を伸ばして、インカ文明の大遺跡マチュ・ピチュを訪れる。
 このように、カリブ諸国から南アメリカを遍歴した結果、ネルーダは、ラテン・アメリカにおける社会的・文化的問題を統一的に、総合的にとらえる、という展望を抱くにいたる。それはチリだけでなく、アメリカの「年代記」を書こうという大きな計画となる。またそれ以来、かれはラテン・アメリカ諸国人民との連帯を深めてゆく。
 これらのネルーダの道程、マチュ・ピチュ訪問の感懐などは、まず長詩『マチュ・ピチュの頂き』(一九四五年)に結晶することになる。したがって、この長詩の世界を理解するには、このような源泉と背景を知る必要がある。


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