酒井正平の思い出 ──具体的な王様──
服部伸六
酒井正平が既に地球上の具体的な存在でないように、僕も東京の水草の民(ノマード)ではない。けれども、僕は自分の頭脳の中に想い出すことが出来る。「ポアンの里」の王様を。カルタの王様のように気どった顔をして、フンベツ臭い言語を発する正平を想い起すことが出来る。僕はまた彼を言語でむち打って、言葉の手袋で彼の四角いアゴをひっぱたくことも出来るのである。しかし、何と言うことだ。酒井正平には僕に仕返しが出来ないのだ。〈アア。〉と僕は、彼の詩句の中でのように詠嘆する。アア、彼は僕達の眼には見えなくなっているのだ。
酒井正平は思想をケイベツした。と思う。この僕の想像は根も葉もあるものであるから、彼の詩句の中からそれを引用してみよう。
いいえ
Illusionだけ喰べて此の世の中の
カタパンを売りあるいてた女でなく
そのテントから三つ目の
屋台に、彼女はホウヅキと
微笑と ヒナゲシの匂ひを売って
ゐた。と言ふと皆さんは
じきに正確に考へてしまはれる。
『書簡』(新領土三の一四)
この詩は「六太郎」と言う人物に当てた手紙と言うことになっているが、「六太郎」とは、言わずと知れた、病的な念押し詩人、永田助太郎氏に当てたものであることは明白である。この詩の中には〈喰べる〉と言う動作、〈三つ目〉と言う数詞、〈屋台〉等と言う具体的な語が使われて、具象的なイマージュを呼び起すが、何等言わんとすることは明確になって来ない。けれども、僕は想像する。〈小さい女〉と言うのは、彼の女神であり、具体的には六太郎と共に飲み歩いた酒場のマダムであろうと。けれども、何故その女神を呼ぶのに〈小さい女〉と卑少辞を以て呼ばねばならないのか。ここに現代人の悲劇がある。
僕はむかしからウッカリ者で、「ポアンの里」と彼が呼んでいた場所がどんな場所なのか知らない。多分、東京の江東の悪所のことだろうと思っていたら、彼の書いた『ポアンの里』の人々と言う小文を読み返してみたら、その中には、春山サンや饒、西崎等の詩人達が多く現れるので、思所ではないらしい。とうとうこの場所を聞きもらして、ウッカリしていたことに気がついた。
或る人は言ったでもあろう。ニヤケ男だと、彼のことを。けれども、彼がパイプのことを書いてみたり、話をそらしてウワの空の振りをしてみせたりすることは、彼がニヤケ男であったからではない。現代に追いつめられた一人の古風な詩人が、ハイカラなみぶりの下にかくした涙ぐましいレジスタンスである。僕は彼の書いたものを読み返してみて、涙が出て来た。それほど、僕達が住んでいた時代と環境が具体性を以って生れて来たからだ。〈おバケ〉と呼ばねばならない恋人、それは詩神であり、そして、そのミューズの上に馬乗りになって、液体をなすりつけねばならないほど、魔につかれた青年詩人の悲劇である。それは現代のトロイ戦争であるからだ。
私のおバケよ!
たえず一人の兵士の長い眠りを
あとにして別の兵士の肉体に身をゆだねた。
〈同前〉
酒井がペンの先で作り上げる素晴しい風景画は、常に失われた美しい夢と物語に映り変り、次には渋面になり、次には泣き顔になり、自分で予言したように、長い眠りについてしまう一人の兵士になってしまう。
僕は彼に〈濡れた奴〉と呼ばれる慣しになっていたが、と言うのは、僕は彼の正統の友人グループに入ってなかったし、ポアンの里の住人にも入れなかったので、彼は僕をシンパと考えて、敬意を表したつもりでそう呼んでいた。濡れると言う意味は、主情的と言う意味で、彼は自身を主情的詩人と信じていたようであるから、僕のことを自分の近い場所に位置づけようとしたネライであったろう。と同時にそれは、僕達同志の最後通牒であり、宣戦布告でもあった。芸術の世界は常に孤独であることを、最もよく知っていた彼であるから
(『服部伸六詩集』宝文館出版 1977年8月)
- 関連記事
-
-
服部伸六 「ヒクメットとビリチスのくに」(上) 2022/12/13
-
モン・ヴァレリアンの丘を訪ねた 服部伸六からの絵はがき 2022/08/21
-
酒井正平の思い出 服部伸六 2020/12/25
-
永田助太郎回想 服部伸六 2020/12/24
-
声のない歌 服部伸六 2020/12/23
-
この記事のトラックバックURL
http://oshimahakkou.blog44.fc2.com/tb.php/4664-d5d62e56
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック