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永田助太郎回想   服部伸六

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*服部伸六と永田助太郎、楠田一郎、酒井正平、大島博光は「新領土」で活動した仲間であり、飲み友達でした。新宿で飲んで電車がなくなり、さまよい歩いて出た明治神宮外苑・絵画館で見た朝焼けがうすばら色で美しかったと大島博光が語っています。(服部伸六詩集・解説

噴水




永田助太郎回想            服部伸六 

 生ケル間はモトヨリ死ナシさ
 死来タル時は オオ 既ニ在ラザルよ
 オオ ヘッポコ文化世界で美シク死なウ
                             ──時間──

 東京で戦災をまぬがれた僕の書籍の中に残っていた何冊かの「新領土」が出て来たので拾い読みしていたら右のような永田助太郎の詩句にブツカッた。
 優しい眼つきの助太郎、人間の最低のものにまで降下してその親切な協力を惜しまなかった詩人助太郎、飲むとトコトンまでつき合って、夜明けの神宮外園をかけ足で通ったロク太郎、僕は彼と会った日日のことや、彼の口グセや独特の発音やを想い出す。ああ、しかし、彼は居ない。
 彼は自分でつねに予見していたように《生の只中の死》の意識の中で、詩がよってもって立つことの出来る最底の基礎工事を長年月の間苦心した。彼の詩句を借りるなら、《オオ僕の手がナスベキことを/全力をあげてヤラカサンとして/〈辛苦を甞む〉であった。世界は無限であり、生命もまた無限であり、その中の最少限の個人の時間を、空間を限定せんがために、シツコク ヤニツコク 生きねばならぬ》とした彼は、《内部と外部》を通り、《空間》を通過して、昭和十四年頃には《時間》に到達した。ここに到って彼はそれ以前よりもずっと自由になり、《辛苦》を告白することが出来るようになった。「新領土」《時間》の連作の最初の部分が発表されはじめた時、この饒舌の批評家は、新しい決意に達したもののようであった。それは丁度、真理を発見した宗教的天才のあふれてやまぬ泉の流れにも似て騒々しく、おしゃべりだった。しかしそこには《内部外部》の時の黒人《ニグロ》のドンチャン騒ぎの雑音ではなく《言葉の内包と外包のモヒトツ向フの論理性の主張主張》と彼がいっているように、執拗な詩神《ミューズ》の追及であった。そしてこの《時間》の連作は豊富な土地のようなあらゆる果実の実る可能性を蔵したままとぎれてしまった。僕達は戦後の詩作品の中に彼の残した遺産の相続者を見い出すことが出来るだろうか。
 助太郎は饒舌であったが、彼の饒舌は、あくまでも物のトコトンの姿を明らかにしてみなければヤムことのない実に強烈な欲望の結果であった。それは病的にまで深い欲求だった。同一意味を有する日本語を全部上げてみて、その中から詩語を発見しようという実験でもあった。それが異状なまでに並べられた重複だった。しかしその積み重ねの中に、彼はキラリキラリと彼のするどい批評精神をのぞかせるのだった。

 歴史的に云うとタテとヨコだタテとヨコ
 縦横無尽であり、
 右往左往でない右顧左眄でない
 根源的にして爆発的だ爆発的

 右の詩句は永田の詩論の一部をなすものだが、彼は彼に向けられた攻撃、または向けられるかも知れない攻撃に向って自己を守るためのアポロジイであった。

 有形を無形にし
 消化し同化し何トカシテ
 唯一の目標に向って有形たらんとして
 進む奴であった
 山ガヤッテ来ナカッタので出掛ケタ奴であった。
 毛脛のポライトネスをもって
                                   ──一九三九・二・一三──

 恐らく彼の詩はヒリズムだ、ダダイズムだと評されただろう。しかし僕はいつまでもそうは思っていない。彼は限定された時間と空間の中に自己を打ちたて、ひいては人間の尊厳を打ちたてんとして、神に抵抗を試みた斗士だったのではなかったか。その意味で、彼はつねに意気ケンコウであり、斗志満々であった。クソをタレる人間も、恋を語る人間も、詩を作る人間も、すべて同一人間である事実を真正面から認め、そう云う条件を全面的にウベナイ、そして《僕は絶望にはクハレンぞクハレンぞ/僕は絶望を追い求める者ではナイからサ》と歌う彼は決してニヒリストではないことを証明している。
 助太郎の努力の中で今一つ評価されねばならぬことは、言語に対する彼の実験である。彼ぐらい日本語に対するすぐれた感覚と理解をもっていた詩人は数多くはいないだろう。彼はあらゆる言葉を自家薬籠中のものとした。

 少ナクトモ文学に於ケル実験とは
 柄にもないことをヤル事だョ
 柄デナイと云ってオットリカマヘル乃至ソレナリケリにオサマッチャウことを破ルことだョ。
 従って小口をキクことでもなけりゃ
 大口をタタクことでもない。
                                ──時間──

 と云うような奇想天外な言葉の使用法は全く努力なしには得られないものだ。これも故人になったニヤリスト詩人酒井正平と僕は、ロクタロウ(助太郎のこと)の新作を肴にしてゲラゲラ笑いながら銀座のオデン屋を飲み歩いた。
 新宿の裏通りを太巻(大島博光のこと)と細巻(永田)が通る。という情報が入ると、僕はバアの中から彼等の来るのを今か今かと待っていたものだ。今から十六七年も前のことだ。
 僕は兵隊から帰った昭和十九年に永田の神泉の家を訪れた。だが何の話をしたのだろう。ガソリン臭いチュウをみみちく飲んで別れたことだったろう。その永田は風聞するところによると、メチルで他界したらしい。
 僕は彼の真似をして挽歌を作ろう。
 死がやって来ないから出カケて行った奴だったョ。
 毛脛のポライトネスをもって
(『服部伸六詩集』宝文館出版一九七七年八月)

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