ひとりぼっちの宴会 服部伸六
ぼくは夜中起き出でてこれを書く。
犬の遠吠えのみが夜陰にこだまする深夜、遠い海の汐ざいも聞えぬ夜ふけ、四十年の半生が夢のように遠く、未来は不安の霧に包まれているこの地球の片隅で、ぼくはひとり起き出て、酒を沸し、棚から塩干をとり出して、ひとりで酒をくむ。時折、大学生らしい青年の歌声が表を通って行く。多くは下品な類え唄の類をうたって若者達は行く。腕をくんで酔に顔を赤くしていることだろう。
ぼくらにもあのような時代があった。「眼覚めない獣」時代の大島博光や、今、パリにいる画家の末永胤生と共に抱いている青春の夜々である。
そうしてわたしは酒にひたっていた
よるもひるも酔いしれつづけ
狂気のはてには靴を杯にかえて
しびれのなかに救いはないかと
──大島博光──わたしのソネット──
──新領土、復刊二号──
そうだ。あれはおそらく誰かが出征する駅頭だっただろう。大島は靴になみなみと酒を注ぎ入れ、みんなの見ている前で飲み干したのだった。それは戦争を祝福するためだったろうか。ノン。それは友を哀しむためだったろうか。ノン。大島も歌っているように、「電光ニュースが何をまたたいていたのかも知らず」に、ぼくたちはただ訳もなく酔っぱらっていたのだろう。次で襲って来る戦争の狂気に巻きこまれぬために、先づ自分達だけ先に狂気になろうとでもしたのだったか。
若さは何にもましてよいものだ。日々はあらゆる可能性をはらんでわれわれを待ってくれていた。ところが、その後ぼくを待っていたのは、大陸の兵隊ぐらしだった。「誰でもこれぐらいのことは」しないものはないという、現地人に対する惨虐行為をぼくだけは出来なかった。平和の真の尊さをも、戦争の悪も、ほんとうには解らずにいたぼくにも、体験を通じて少しづつわかって来た。銃剣をつきつけて、強姦をなし得なかったぼくにも、銃剣をつきつけて麦を供出させることは出来た。しかし、その小麦が日本の財閥に買いとられて、ひどい利潤を生んでいることを知らされたとき、その小麦を横ながしして遊興費にあてていた汚職社員が発見されたのを知ったとき、ぼくは最早や中国の農民に銃剣を向けることは出来なかった。
ぼくたちの青春を穢したくらい戦争の影をぼくは憎む。あれさえなければぼくの一生はどんなに違っていただろう。
ぼくは悔恨と、間違った運命に今やさいなまれる。夜ふけ、ひとりぼっちで酒汲みながら、ぼくの食卓の廻りにむらがる多数の亡霊に悩まされる。ぼくはそいつらを追っ払う。蝿を追うように追払う。未来を考えねばいかん。
するとフルシチョフがあらわれる。
ぼく──あなたは、何かというとウクライナの労働者であるといって自分の出身をほこるそうだが、そういう先入観をふり廻すのは革命家としてよくないと思うんですが、どうです。
フル──いや、今は云わんよ。当時はそう云う必要があったから云っただけだよ。
ぼく──人間による人間の搾取をなくするというのが共産主義の理想なんだから、その場合、その人間は労働者であることも官吏であることも不必要なので、要するに人間であればいいわけじゃありませんか。
フル──そのとおり。しかし、労働階級によって独裁をかちとる過程に於てはタクチックも必要なんでね。
ぼく──マキャベリズムですね。
フル──しかり。われわれは資本主義国と競争しているのだから、何としてもわれわれの制度が優れていることを示さねばならないのだから、そういう手段を用うることもあるわけだよ。
ぼく──すると、人工衛星などもそういうものですか。
フル──いくらかそういう意義はあるね。われわれの制度が優れているということを具体的に示し、希望を与えるからね。
ぼく──しかし、ぼくは、一目に誰にでもわかるような外的なものに於ける発展は、真の進歩ではないと考えるのですがね。
フル──いや、いや、実はそうなんだが、われわれの制度は、その精神の面でも充分発達したよ。同志ジューコフの場合にしたって、われわれのプリンシプルの前には個人の魂は光を失って、永遠の真理の光栄のために席をゆずるという精神的習慣は、之は進歩でなく一体何だと思う。
ぼく──なるほど、そういう意味ですか。一応敬意を表します。
モンテルラン──(席につきながら)やあ、これはロシヤの親方、相変らずやってますな。
フル──来るものは拒ず。やあ、一ぱいいこう。君はどこのどなただね。
ぼく──御招介します。フランスの作家でモンテルランさん。「闘牛士」という小説で売り出した人で、貴族趣味の作家ですね。
フル──貴族趣味、大いによろしいね。時にこないだは東京でペン大会をやったようだが、何かうまいことでもあったかね。
モンテル──さあ、ぼくは行かなかったから知らんですがね。アジアとヨーロッパの交流という議題のようでしたね。
フル──そういうことなら、われわれのところへ来たまえ。実際に交流の上に文化を基いているよ。しかし、まだまだミーロッパの伝統を開花させるというところまでは行かないがね。しかし、古い社会の先入観はすっかり拭いとってからでないと具合いが悪いよ。
モンテル──ぼくは、あんた方を信用していない。あんた方には生の深淵が欠けているのです。
フル──生の深淵?そんなものはありはせんよ。観念論が作り出した化物だよ。
その時三文オペラの伴奏が聞えて来て、戸外で飛下り自殺のあったことを知らせる人がある。みると、三文オペラの中の警察署長だ。
フル──どうしたんだ一体。
署長──アメリカの大使ですよ。神経垂弱だそうです。人間には死にたいという本能があるんですな。
(『服部伸六詩集』宝文館出版 一九七七年八月)
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