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詩誌『樹木と果実』について (2)『樹木と果実』創刊の言葉と読者の手紙

ここでは、「詩誌『樹木と果実』について (2)『樹木と果実』創刊の言葉と読者の手紙」 に関する記事を紹介しています。
創刊の言葉

遂に新しき詩歌の時は来りね。
そは美しき曙のごとくなりき。

新しきうたびとの群の多くは、ただ穆実なる青年なりき。
その芸術は幼稚なりき、不完全なりき。
されどまた偽りも飾りもなかりき。青年のいのちはかれらの口唇にあふれ、
感激の涙はかれらの頬をつたひしなり。

 「藤村詩集」の序文で藤村がこのように書いたのは明治三十七年のことでした。
 戦後十年をふりかえってみれば、この十年はそれまでのどの時代よりも、さらに多くの若いひとびとが詩作にくわわっときであったということができるでしょう。
 生活の花となり、人間の魂の声となり、職場で、農山村で、あるいはガリ刷の詩集となって生れ育った詩歌はたしかに日本の詩歌の未来を告げる胎動のようなものであったといえるでしょう。それらは、はじめ、のみの使い方が荒っぽくはあっても、ぬかみその匂いがしたままであっても、眼のまえのいばらをきり払いながら、手さぐりで進んできたのです。そしてさらに、われわれの心に希望を与え、われわれが幸福になれるような未来を熱い情熱をもって夢みているものだといえるでしょう。そのために必要な詩の方法を、現実のとらえ方を次の時代の詩の曙のなかに求めて止まないのです。
 「樹木と果実」はそれらの詩の前進のために、多くの詩人とサークルの協力を得て、ここにふたたび詩の第一歩を踏み出そうとするのです。この誌名は、明治四十五年、石川啄木が新しい詩歌をひろめようとして考えた雑誌の名ですが、かれはその翌年、その雑誌の発刊もみずに逝ったので、味木の志を受けつぐ意味をふくめて「船木と果実」の名をこの雑誌の名ともしたのです。
(『樹木と果実』 1956年4月号)

  『樹木と果実』 創刊号の冒頭に創刊の言葉が載っています。石川啄木の志を受け継ぐ意味を含めて誌名を決めたとありますが、前身の『詩運動』から変わった理由はわかりません。同じ号の「読者の手紙」欄は『詩運動』への投書を載せていますので、『詩運動』をめぐる問題をある程度うかがう事ができます。

こだま 讀者の手紙

 これは本誌の前身「詩運動」に寄せられた批判です。(編集部)

 朝香進一(小樽)
 詩作品は私たちに親近感を覚えさせます。ただ具体的な詩の方法ないし、技法についての詩論が非常に少ないように思われます。
 作品は素朴なものが多く、他の傾向や例えば風刺詩のようなものに対しては無関心のように考えられます。もっと間口を広げたらよいと思います。

 高橋アイ(秋田)
 雑誌のどういう点が役に立つか!というふうに問われたとすると、詩作品の一つ一つを幾回かくりかえして読んだとき、必ず私は自分も書くという力がこの作品の中のどれかからわき上ってくるのです。
 これらの作品はサークル誌からとったものが多いですが、個人の作品ものせてほしいと思います。私はいま詩のサークルをつくっていって勉強したいと思っているせいか、各サークル運動の経験なども必ずのせていって欲しいです。そのサークルの生れたきっかけをぜひ学びたい。講座も私たちを導いてくれる具体的なものが欲しい。また作品研究として作品をあげて、よい詩わるい詩といったふうに説明しながら表現の仕上げにふれて欲しい。

 宮尾修(千葉・若い森)
一、「詩運動」の詩論は実際の詩作に役立たないのではないか。
二、サークル論もサークルの一般的な状況を踏まえていないのではないか。
三、作品批評、詩集批評も角度が一方的過ぎるのではないか。
四、同人誌の詩とサークルの詩とをことさらに区別しようとしてはいないか。
 大体このように要約する事が出来る。
 私には今迄妙なところでいい気になっていたという風に思えてならないのだが、その妙なところがまだのこっている。
 それは赤木健介氏の「『詩運動』の前進のために」「詩運動」十五号の中の、「砂川基地にたいする米軍や調達庁や警官隊の行動は、多くの国民を怒らせ、あるいは疑惑をおこさせている。しかし、それをうたった詩が、おもしろくもない主観主義的なものであったらどういうことになるか。(中略)これをあらためるためには、何といっても作者が大衆の中に入り、大衆の心理をつかみ、表現も大衆のことばからまなぶことだ。意識しなくともサークルの詩人たちは、それをやっているのだが、それをもっと意識化することが必要なのだ」という考え方である。よい詩を書くために主観主義を捨てろ、という事は分るのだが、大衆の心理をつかみ、大衆の表現に学べばよい詩が書けるとは、どういう事か私には納得出来ない。詩はやはり、一種の知的生産過程を必要とするので、詩人個人の感性と知性が物をいう、と私は考える。その意味で「詩運動」は、実際の詩作に役立つような、具体的でもっとやさしい詩論を載せるべきだ。サークルの詩人たちは、自分の生活並び生活感情の中におぼれてしまっており、将棋でも指すような気分で詩を書いているのが大変多い。こうした無風状態に刺戦を与え、詩をたかめてやるためには詩の構造及び創作過程を基礎から理解する事が大切である。今迄の「詩運動」にはそのような努力が欠けていた、少くとも足りなかった。そういう気が私にはする。
 今後は特にこの点に力を入れて誌面を充実させてほしい。

 井上賢治(東京・もくれんが)
 内容も、いままでのやや教条主義的にも思われる型にはまったものから、全国的な各サークルの現実的な声を反映させてきていることは一つの進歩だと思っています。サークル誌めぐりは今後もつづけてもらいたいと思います。ただ各サークルの当面している問題をよりよく知ってもらい、その具体的な問題を誌上に於いて取上げ、みんなで討論して打開への方法を考え出していくということを「詩運動」の方々からも活発にやって貰いたいと思います。各サークルの「詩運動」との関係をさらに密接にしていくという心がまえが一段と望まれるのです。又、一つのサークルと、他のサークルとの交流について「詩運動」を通じてより深めていくということ。これもサークルの発展のために必要だと思います。
 十四号の「詩をつくろうとする人たちのために」(壺井さん)や十五号の「よい詩・よい歌」(江森さん)のようなものを講座として今後系統的にやってもらいたいと思います。始めて詩を書く人についてのと、現在まで詩を書いてきたが、現実は詩作の上で壁に突き当っているような人達に向うような方法論、詩論を、わかりやすく、そのような問題をふくんでいる詩を実例にして、解説的に書いてもらいたいと思います。十五号の「歌う詩について」等は、新しい方法だと思っていますが、投稿詩の批評にも、もっとスペースをとってもらいたい。各国の著名詩人の解説(詩作品、二三をのせて)もおもしろいのではないかと思います。

 前田悦子(長崎)
 意識のたかい人たちだけを読者の対象としているならよいのですが、まだ自分のまわりの人たちに進められないかたさがあります。せまい範囲の人たちの勉強のためならばいいのですが、一人でも多くの人たちによんでもらって、高めあっていくためにはもう少し誌面を考えてみる必要があると思います。左がかっていて──という人たちの中からこそ、もっと沢山の詩を愛する人たちがでてくれていいのではないでしようか。<赤>を敬遠する人たちも、たとえば彦根の「熔岩」の「なかのふみこ詩集」の詩は好きだといっている。もっと多くの、もっと色々な作品そのものに語らせた方がいいと思います。長崎の田舎でのことですから一般的にいえるかどうかと思いますが。

 小熊忠二(長野・呼子)
 「詩運動」十五号をよみました。内容は大変いままでよりよくなってきたことをよろこびます。地道にすすめられることをねがいます。

 井上俊夫(大阪・山河)
 新日本文学会、列島、などの詩人たちとの交流をみつにして、民主的な詩運動のために統一をはかってほしい。
 詩の方法についても、素朴レアリズムだけを固守しないで、色々な手法をもつ詩人をも包含するだけの度量を持ってほしい。
 象徴的な手法をとると、労働者、農民に背をむけているかのように思われるのは、少し性急すぎると思いました。僕たちは、今後色々な実験を試みるつもりでおりますから、もう少し温い眼で、気長にその仕事を見守ってほしいと考えます。

 菊地道雄(吹田・ながれ)
 関西の「詩運動」グルーブの様子少し書きます。前に、しろかぶと氏が「NON」にふれて書いたとき、しろ氏は自身関西の事情にうといとことわってはいられましたが、誤謬もあるので先ずそこから。「NON」の中村は二号で廃刊して「現在の僕は今迄の自分の文学コースに全面的な懐疑を抱いており、いま一度基礎的な勉強をしたいと決心しているので到底人前では自分の意見を述べることができない。……」といって「ながれ」の合評会にでてこなかった。「NON」を潰し合評会に欠席してどんな地味な仕事ができるのか──。
 井上俊夫は浜田知章らと「山河」をやっているが、私の詩集「ざりがに」出版記念会で従来の赤木健介氏の創作方法では詩がくさってしまうと述懐した。アンチ・テーゼというより彼の創作方法上の探究の血みどろな闘いから吐かれた言葉だと思う。赤木氏はすでにそのせまさを自己批判していられるが、その結論だけでは私たちの苦悶が解消するとは思えない。われわれは「詩運動」の方針をみとめている(大部分に於いて)。だから文学論、方法論に就いても同化するのではなく、意見をたたかわし作品活動もせねばならないと思っている。

(『樹木と果実』 1956年4月号)

紅葉

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