『樹木と果実』と大島博光
『樹木と果実』は赤木健介が中心となって1956年4月に創刊した月刊の詩誌で、翌1957年9月号まで発行された。前身は全国に発生した詩のサークルの交流をめざして1953年2月に赤木健介が創刊した『詩運動』で、新日本文学会に参加する詩人たちが寄稿した『現代詩』とは趣を異にする。
大島博光は創刊準備の会議に赤木健介、壺井繁治、江森盛彌らとともに参加するなどしてかかわり、次の作品を寄稿している。
1 詩における民族的伝統を求めて (1巻1号 1956-04)
2 フランスにおける国民詩の現状 (1巻2号 1956-05)
3 エリュアール 「わたしの知っている詩人たち」 (1巻4号 1956-07)
4 うたの回復――詩集「日本組曲」にふれながら (1巻5号 1956-08)
5 詩「火は燃えていた」「もしもわたしが詩人なら」 (2巻5号 1957-06)
また、 『角笛』同人だった小熊忠二、立岡宏夫、青山伸らが交流欄に投稿している。
『樹木と果実』は赤木健介が中心となって1956年4月に創刊した月刊の詩誌で、翌1957年9月号まで発行された。前身は全国に発生した詩のサークルの交流をめざして1953年2月に赤木健介が創刊した『詩運動』で、新日本文学会に参加する詩人たちが寄稿した『現代詩』とは趣を異にする。
大島博光は創刊準備の会議に赤木健介、壺井繁治、江森盛彌らとともに参加するなどしてかかわり、次の作品を寄稿している。
1 詩における民族的伝統を求めて (1巻1号 1956-04)
2 フランスにおける国民詩の現状 (1巻2号 1956-05)
3 エリュアール 「わたしの知っている詩人たち」 (1巻4号 1956-07)
4 うたの回復――詩集「日本組曲」にふれながら (1巻5号 1956-08)
5 詩「火は燃えていた」「もしもわたしが詩人なら」 (2巻5号 1957-06)
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