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鳩は世界じゅうを飛びまわる(下)

ここでは、「鳩は世界じゅうを飛びまわる(下)」 に関する記事を紹介しています。


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(『文化評論』1983年6月号)


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「新しい民主主義レビュー」誌1952年12月号の表紙




 また、一九五二年三月、ギリシャ共産党の指導者で反ファシスム闘争の英雄ベロヤニスが、三人の同志とともに、ギリシャ王党派政府とワシントンの共謀のもとに、貨物自動車のヘッドライトの光のなかで銃殺された。ベロヤニスの死を知ったピカソは憤激の声をあげ、ベロヤニスの肖像(「ユマニテ」に掲載)をデッサンすると同時に、彼はゴヤを思い出している。
 「ゴヤの絵のなかで、マドリードの五月の夜、燈油ランプの光が、非道な外国兵に銃殺される人民の気高い顔を照らしだしているが、それはこうこうと照らすヘッドライトの光のなかで、死と恐怖と憎悪にみちた政府によって、開かれたギリシャの胸のうえにまき散らされた恐怖とおなじものである。」
 また朝鮮戦争に際して、ピカソは「朝鮮の虐殺」を描いて、南朝鮮とワシントンのファシストを告発している。この戦争に触発されて大作「戦争と平和」(一九五二年)を描いた。
 紙数が盡きたが、つぎのことだけをしるしておきたい。
 アラゴンは「ピカソ・レーニン平和賞授賞」を書いて、この賞の意義とピカソ芸術の偉大さを明らかにしている。
 「レーニン国際平和賞がパブロ・ピカソに授与された。このニュースは、この数年来、国際関係にあらわれた変化を示すものである。この偉大な画家に賞が与えられたのは、恐らく彼が平和のためにつくした直接的な功績によるものであり、全世界で無類の栄光をになう天才が、戦争に反対する人びとの力づよい感情に支持を与えたことによるのであろう。しかしこのことはもうひとつの意義をもつ。それはまさにピカソの名の上に、二つの世界の相互理解がなされうるということであり、相ことなる社会体制も、人類の福祉的活動について、この活動の福祉的性格について一致できるという範例が、ピカソにおいて示されたということである。
 ある人びとは言うだろう、この賞はピカソの作品に与えられたものではなく、ただ彼の鳩に与えられたのだと。──たしかにピカソの名を平和のそれに結びつけることなしに、サン・マルコ広場やカルーセル庭園の鳩たちを見ることはできないということもあるが、そういう人びとにはこう答えねばならない。たとえ鳩たちが美しく感動的であろうと、もしそれらがほかの人の手によって放たれたなら、もしその鳩たちが、パリのスペイン人画家の、その美しさ、絶えざる創造精神、悲劇への感覚、偉大さ等をもった作品によって支えられていなかったら、鳩たちはけっしておなじ意味をもたなかったであろうと。このパリのスペイン人画家は、ヴェラスケスとゴヤの、マネとセザンヌの継承者であって、彼はかれじしんのスペイン人民の悲劇と同時に、全人類の深い願望を表現することができたのだ。ひとが望むと否とにかかわらず、ピカソはその無類の卓越した技法のゆえに、かれの芸術のゆえに、人民の希望と感謝のしるし、レーニンの肖像の刻みこまれた小さな金メダルをもつ権利をもつだろう。」(一九六二年五月二日付「ユマニテ」)
(おおしま ひろみつ・詩人)

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