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ゲルニカから鳩へ (5)パリ解放――ピカソの入党(下)

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(『文化評論』1983年6月号)

ピカソ
横たわる裸婦と横笛を吹く男 1932年



 ちょうどアメリカの「ニュウ・マッセズ」が求めてきたインタビューの機会をとらえて、かれは共産党入党の弁を語ることにした。この一文は十月二十四日アメリカで発表され、ついで十月二十九日「ユマニテ」紙上に発表された。それはつぎのようなものであった。
 「わたしの共産党への入党は、わたしの全生涯、わたしの全作品の当然の帰結である。なぜなら、わたしは誇りをもって言うのだが、わたしは絵画をたんなる楽しみの芸術、気晴らしの芸術と考えたことは一度もなかったからであり、わたしはデッサンによって、色彩によって――それがわたしの武器だったから――世界と人間への認識のなかにつねにより深く入りこみたかったからである。この認識が日ごとによりいっそうわれわれを解放してくれるように、わたしがもっとも真実で、もっともただしく、もっともよいと考えたものを、わたしはわたしの流儀で表現しようと思った。それは、偉大な芸術家たちがよく知っているように、当然つねにもっとも美しいものだった。そうだ、わたしは真の革命家としていつもわたしの絵画のために闘ってきたことを知っている。しかしわたしはいま、それだけでは充分ではないことを理解した。この怖るべき圧制の数年は、自分の芸術をもって闘うだけでなく、わたし自身の全部をあげて闘わねばならぬことを教えた……そこでわたしはためらうことなく共産党へ行っ
た。というのは、わたしは心の中ではずっと前から党ととも:にいたからである。アラゴン、エリュアール、カッスー、フーシュロンなど、すべてのわが友人はそのことをよく知っている。わたしが公式に入党しなかったのは、それはある種の「無邪気さ」によるものであった。わたしは、わたしの作品、わたしの心による入党で充分であり、しかもそれがもうわたしの「党」だと信じていたからである。もっとも世界をよく知ろうとし、世界を建設しようとし、こんにちと明日の人びとをいっそう自覚させ、いっそう自由にし、いっそう幸福にしようと努めているのは党ではなかろうか。フランスにおいても、ソヴェトにおいても、わがスペインにおいても、もっとも勇敢だったのは共産党員ではなかろうか。どうしてためらうことがあろう? 参加するのが怖ろしかったのか? いや、わたしは反対に、かつてなくいっそう自由に、いっそう申し分なく感じた……それにわたしはひとつの祖国をみつけるのにひどく急いでいたのだ。
 わたしはずっと亡命者だったが、いまやわたしはもう亡命者ではない。スペインがわたしを迎え入れてくれる日を待ちながら、フランス共産党が腕をひらいてわたしを迎え入れてくれたのである。わたしのもっとも尊敬する人たち、偉大な学者たち、偉大な詩人たちを、わたしは党のなかに見いだした。そしてあのパリ解放の八月の日日にわたしの見た、蜂起したパリ市民たちのうつくしい顔を、わたしは党のなかに見いだした。わたしはふたたび、わが兄弟たちに仲間入りをしたのだ。」
 ピカソはここにおのれの心をひらき、党のなかに求めたものをすべて述べている。そして彼は忠実な党員として生涯をまっとうすることになる。

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